「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2013/01/13

ロシアンルーレットの部屋

心静かに家事、料理の仕込み、読書の平和な一日。 大豆を煮て、白菜を漬けて、いただいた檸檬でポン酢を作った。 「マネー・マーヴェリック」(L.クロイヤー著/斉藤裕一訳/ピアソン)、読了。 他に、「凡庸な芸術家の肖像」(蓮實重彦著/青土社)、 「昭和史 (上)」(中村隆英著/東洋経済新報社) を少しずつ。

あなたは、以下のようなゲームに参加登録しようとしている。 まず一人が部屋に入り、二個サイコロを振る。 もし、六のゾロ目が出れば、命を失う。 それ以外の目ならば大金を受け取って部屋を去り、 新しく 9 人が部屋に入る。 その 9 人の内の代表者一人が二個のサイコロを振り、 もし、六のゾロ目が出れば、その 9 人全員が命を失う。 それ以外の目ならば 9 人全員が大金を受取って部屋を去り、 新しく 90 人が部屋に入る。 その 90 人の内の代表者一人が二個のサイコロを振り、 もし、六のゾロ目が出れば、その 90 人全員が命を失う。 それ以外の目ならば 90 人全員が大金を受け取って部屋を去り、 新しく 900 人が部屋に入る……と、 いつか六のゾロ目が出るまでこれを続けていく。 (部屋はいくらでも広く、参加希望者もいくらでもいるとする。)

これはとても良い賭けだと、あなたは思っている。 何故なら、自分が部屋に入ったときを想像すると、 死ぬ確率はわずか 36 分の 1 に過ぎない。 しかし、母親に相談すると、 「でも参加者の 90 パーセントは死ぬのよ?」 と指摘された。確かに、六のゾロ目が出てゲームが終了した時点で、 それ以前に部屋に入った人たちの 9 割が死ぬ。 あなたは、参加登録すべきかどうか、分からなくなってしまった。 どちらの意見が正しいのだろう。

このパラドクスは以下の文献で議論されたもの: Paul Bartha and Christopher Hitchcock, "The Shooting Room Paradox and Conditionalizing on Measurably Challenged Sets" (Synthese, March 1999). 私自身は blog "Futility Closet" で知った。 実際、数学的には確率論としてパラドクスはどこにもないのだが、 奇妙な印象が拭えない、面白い設定だと思う。