「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2016/01/25

おからと蕎麦

オフィスで風邪が流行中のようだ。帰宅して、まず風呂。湯船の読書は「新・大貧帳」(内田百閒著/福武文庫)。湯上がりには、おからで酒を五勺。最近は毎日、おからで晩酌なのだが、毎日同じというところに味がある。

百鬼園先生は何年もの間、毎日お昼が盛り蕎麦の時期があったようで、それも家の近所の特にうまくもない普通の蕎麦屋から出前をとる。先生が言うには、「続けて食ってゐる内に段々味が決まり」、うまくなってくるそうだ。「うまいから、うまいのではなく、うまい、まづいは別として、うまい」らしい。毎日、決まって同じ蕎麦を食べるのが楽しみになってくると言う。砂場とか更科とかうまい蕎麦屋があるではないかと言う人もいるが、そういう、うまい蕎麦は、ふだんと違うから、まづいのだ、と言う。確かどこかで、酒のことだったと思うが、あれはうまいからまづい、とお書きになっていたようにさえ思う。


やはり味わいというものはこの境地にまで行かないといけないな、と思いながら、今日もおからで盃を傾ける。おからも百鬼園先生の好物で、先生はお酢やレモン汁をかけて食すことを好んだようである。幸いにも、近所の豆腐屋でおからを買ったら、袋に一杯、一ヶ月は楽々食べられそうな量が 80 円だった。この先一ヶ月は毎晩、おからである。