「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2016/03/31

さくら通り

本当にまた急激に温くなつたものだなあ。往訪仕事のために通り過ぎた渋谷のさくら通りでは、もう桜が満開。

夕方退社して帰宅。風呂に入つて、最近の湯船の読書「古文の読解」(小西甚一著/ちくま学芸文庫)。もうすぐ往きの通勤電車で谷崎潤一郎訳の源氏物語を読み終へるので、次は原文(もちろん現代語訳付きのテキストにするが)にチャレンジするための準備に。

夕食の支度。えのき茸の辛煮、鯛のあら煮と牛蒡で、冷酒を五勺。のち、豚肉生姜焼きとキャベツ千切り、御飯、葱の味噌汁。

2016/03/30

文語訳

どうやら春だ。そのせゐだらう、眠くつてしやうがない。22 時就寝、6 時に目が覚めて 7 時起床の私は普段から 8 時間以上寝てゐるのだが、全く足りない。

水曜日は弁当作りを休むので、昼食は目黒のカレー屋にて。普段はオフィスの目の前の学生食堂で済ませるのだが、気候も良いので、目黒までの往復を歩いてみた。通り道の自然公園入口に既に満開の桜が。「たれこめて春のゆくへ知らぬもなほあはれに情深し」とは言ふものの、やはり花の盛りは良いものである。

夕方退社して帰宅。風呂に入つてのち、夕食の支度。厚揚げの煮物、雷蒟蒻、鯛のあら煮で冷酒を五勺。山葵御飯、長芋のとろろ汁。

夜の読書は「文語訳 新約聖書 詩篇付」(岩波文庫)よりマタイ伝福音書など。

2016/03/29

カサブランカ


急に暖くなつた。春が来たらしい。往きの車中の谷崎源氏は「手習」の帖。源氏物語にもこんな意外な展開が。

夕食はミーティングの隙間時間にオフィス前の研究所内の学食にて。そして今、帰宅。カサブランカは家中に香りが広がるところが良い。

おからで晩酌。心静かに「ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記」(I.ゾマヴィラ編/鬼界彰夫訳/講談社)を読んだり。

2016/03/28

手習

昨日までに比べてかなり暖い。朝起きて居間に入るとカサブランカのつぼみが幾つか開いてゐたので、雄蕊をとり除く。花粉が猫には猛毒なのださうだ。

往きの車中の谷崎源氏は「蜻蛉」から「手習」の帖に入つた。帰りは「フーコーの振り子」(U.エーコ著/藤村昌昭訳/文春文庫)の下巻冒頭。

帰宅して風呂に入つてから夕飯の支度。おから、えのきの煮物、鯖の味醂干し、長芋のとろろかけ御飯、春キャベツの味噌汁。食後にお茶と饅頭。

おや、雷が鳴つてゐる。

2016/03/26

野良猫とのめぐりあい

再び猫を例に取ろう。あなたの家の庭に毎日同じ野良猫が姿を見せるとしよう。こうしたことが毎日起こるために一体その猫が毎日どこでどのような活動をしているか、しなければならないかを想像してみよう。まずその猫は餌を調達する縄張りを持っており、そこで調達した餌で自分の体を養い、夜は安全な寝場所を確保できなければならないし、車の通行に対する一定の認識があり、身の安全を確保できるのでなければならない。しかもこうしたことは、一日も欠かさず毎日起こるのでなければならない。これらのどの活動や条件が途絶えても、猫はもはやあなたの庭を訪れないということが起こる。言い換えるなら、その猫が庭を歩いている姿の一瞥の中にあなたは、猫の存在、すなわち今述べたような諸活動を意識することなく想定しているのである。あなたが「またあの猫が居る(存在している=生きて居る)」のを知っているということは、こうしたことなのである。毎日繰り返しているこの何気ない想いのなかで、あなたは自分で夢想すらしたことのないような壮大な認識を行っているのである。こうして認識されている壮大な出来事が、あなたがこの世界で生きているということであり、あの猫がこの世界で生きているということであり、あなた達があなたの庭という場所で毎日出会うということなのである。こうした認識を自覚する時、我々は認識されている事態を奇跡と呼ぶ。奇跡とは自覚された命である。

「生き方と哲学」(鬼界彰夫著/講談社)より

2016/03/25

健康診断

朝早くに家を出て、健康診断へ。待ち時間をつぶすために、ラテン語の単語カードを持つて行く。診断結果は三週間先だが、その場で知れた情報によれば、体重が 55 kg といふ私の危険水域に近付いてゐた。もつと贅沢をするやうにしよう。それから、矯正視力が回復してゐたが、おそらく単に老眼が進んだせゐだらう。

もとより少ない血を抜かれてふらふらしながら出勤。夕方まで働いて退社。帰り道のスーパーで厚揚げと鯛のアラを買ひ、花屋でカサブランカを買つて、帰宅。風呂に入つてから夕食の支度。おからと、子母沢流のうどんすきで、いただきものの大吟醸を一合。土日は滋養のあるものを食べて体力を回復しよう。鯛飯なんてどうかな。

ちなみに健康診断の待ち時間のおかげで、"Wheelock's Latin" 第一章の単語はばつちりだ。

2016/03/24

冬の糠雨

また冬に戻つた。外に出ると糠雨が降つてゐる。春雨ぢや、と言ふにはまだかなり冷たい雨だが、傘を取りに戻るのも面倒なのでそのまま濡れて駅まで歩く。

帰りも寒い冬の夕暮れ。帰宅して風呂に入つてから夕食の支度。おから、獅子唐の焼きびたし、鯖の味醂干しで冷酒を五勺。のち、御飯に長芋とろろ、なめこ汁。食後に台湾茶と小豆餡の饅頭一つ。

夜の読書は「我輩ハ猫デアル」(夏目漱石著/名著復刻全集)を少しと、21 時からは寝床に入つて「死にいたる病」(S.キルケゴール著/桝田啓三郎訳/ちくま学芸文庫)。

2016/03/23

冷凍うどん

21 時過ぎには就寝準備に入つて 22 時には寝てしまふ習慣なので、少し帰りが遅くなると、米を炊いてゐる暇がない。晩酌を済ませたら、冷凍うどんを茹でて、生卵を割つて、刻み葱を散らし、生醤油をかけて、といふ感じになつてしまふ。

御飯と漬物と味噌汁も良いが、うどんも悪くないものではある。

2016/03/22

睡魔

往きの車中の読書は谷崎源氏、「蜻蛉」の帖。浮舟が行方不明になるドラマチックな展開。

昨夜は良く寝たはずなのに、今日は時折、眠くてしやうがなかつた。色川武大みたいにナルコレプシーなのだらうか。軽度認知症だけでも困るのに、さらにナルコレプシーまで発病しては……温かつたり寒かつたりの気候のせゐだと思ひたい。

2016/03/21

猫と哲学

寝坊。8 時過ぎまで寝床から出られず。休日用の簡易的な朝食のあと、ラテン語の勉強。

以前に興味の趣くまま色々な入門書に手を出して、いつの間にやら挫折してゐた反省のもと、"Wheelock's Latin" (F.M.Wheelock-R.A.LaFleur / Collins Reference)一冊だけに絞つて勉強し直してゐる。しかし、一日一ページすら進まないので、これを仕上げるには一年から二年、いや、もつとかかるかも知れない。しばらく退屈知らずで暮らせさうだ。

特に用事もなく、穏やかな一日。閑暇に憩う。読書は「生き方と哲学」(鬼界彰夫著/講談社)、"Three Men Out" (R.Stout / Bantam Books) より "This won't kill you" など。

「こうしたとき猫はあたかも何もしていないかのように思われる。しかし猫は何もしていないのではなく、実は生きているのであり、その一環として眠っているのである。にもかかわらず猫が何もしていないかのように思われるのは、それは猫の生の全体像が我々の目から隠されているからである。こうしたことは何かが猫の生を覆い隠しているがためでなく、我々が目の前にある猫の生の全体を見ていないがために起こる。」
「生き方と哲学」(鬼界彰夫)より

2016/03/20

日曜日

キウィとヨーグルト、パンとチーズ、珈琲の朝食のあと、ラテン語の勉強。風呂に入つて、湯船で「古文の読解」(小西甚一著/ちくま学芸文庫)を読む。

昼食は茹で卵の燻製をトッピングしたカレーライス。午後は本の整理のあと、一週間分の家事。

夕方再び風呂。湯船で "Three Men Out" (R.Stout / Bantam Books) よりネロ・ウルフものの短篇 "This won't kill you" を読む。ワールドシリーズの試合の最中に野球選手が殺されるこの話、どこかで読んだやうな。「EQ」に翻訳されてゐたのかなあ……昔は絶対にそんなことはなかつたのだが、最近は以前に読んだのか読んでゐないのかさへ思ひ出せないことがある。単に歳のせゐなのか軽度認知症の症状なのか。いづれにせよ情けないことだ。

夕食の支度。豚肉と大根を煮る間に、おからでワインを少々。夜も "This won't kill you" のつづきを読む。ネロ・ウルフは言葉遣ひが面白いので辞書を引き引き、のろのろとそれを読み味はふのが、私の娯楽の一つなのだ。

何事もない良い一日である。

2016/03/19

三月大歌舞伎襲名披露

朝食はヨーグルトとキウィ、パンとチーズ、茹で卵のスモーク、珈琲。朝風呂の湯船で「古文の読解」(小西甚一著/ちくま学芸文庫)。午前中はラテン語と Haskell の勉強など。昼食は土曜日の昼のお決まり、お好み焼きとビール。

午後は一月に一度の贅沢をしに歌舞伎座。「よろづの事よりも、わびしげなる車に、装束わるくてもの見る人、いともどかし」(枕冊子)と言ふことだし、それなりに身支度し、白ワインを水筒に詰めてグラス持参で出かける。三越地下の寿司岩でばらちらしを買つて、歌舞伎座へ。今月は、五代目中村雀右衛門の襲名披露。夜の部では襲名口上の他、「祇園祭礼信仰記(金閣寺)」で五代目が雪姫をつとめる。

金閣寺と満開の桜を背景に桜の木に縛りつけられたご令嬢が爪先で桜の花弁を集めて鼠の絵を描く、と言ふ場面のためだけに成立してゐるやうなお芝居なのだが、だつて歌舞伎なんだもの、それでよし。

2016/03/18

精進日とイベント

今日は月に二度の定例の精進日。朝食もお弁当も精進料理。往きの電車では、俗人は生臭くて困つたものぢや、しかも目玉がどこか獣めいた輝きを放つてをる、したがつて心もぢや、などと思ひながら出勤。

夜は親会社と弊社の周年記念イベント。お寿司の出前をとると言ふのだが、精進日である。干瓢巻、河童巻、沢庵巻でしのげば大丈夫、と思つてゐたら、立派な握りしかない。これは困つた……止むを得ず、生姜とフルーツ、ケーキだけで済ませる。

今、帰宅。これからお風呂。


2016/03/17

夜の家事

急に暖くなつた。退社したあと、所用を片付け、家事をあれこれ。明日は精進日なので、昆布でだしをとつたり、高野豆腐を仕込んだりで、もうこんな時間だ。二十二時には就寝する習慣なので、家事が残つてゐると夜の時間が慌しく過ぎてゆく。できるだけ朝と週末に片付けるやうに心掛けてはゐるのだが、かういふ日もある。






2016/03/16

あご

曇り空。しかし昨日よりずつと暖い。やうやく春だらうか。往きの車中の読書は相変はらず谷崎源氏だが、帰りは、昨日「秘められた感情」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ文庫)を読了したので、「フーコーの振り子」(U.エーコ著/藤村昌昭訳/文春文庫)。エーコもお亡くなりになつたのだなあ。エーコの小説世界への登場は事件だつたものだが。

帰宅して風呂に入つてから夕食の支度。おからで白ワインを少々。のち、飛魚の丸干しを焼き、沢庵、春キャベツと新じやがの味噌汁、黒米入りの御飯。

2016/03/15

火曜日

良く晴れて日差しは暖いが風は冷い。朝食のあと、少しラテン語の勉強をしてから家を出る。最近、朝の勉強の時間を確保するため、出勤時間を遅らせてみてゐる。往きの車中の読書は谷崎源氏、「浮舟」の帖。

帰りの車中で読んでゐた「秘められた感情」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ文庫)を読了。帰宅して風呂に入つてから夕食の支度。おからで白ワインを少々。のち、鯖の味醂干し、沢庵、春キャベツと新じやがの味噌汁。食後に苺を少し。

2016/03/14

銀杏二粒

冷たい雨の一日。かう暑かつたり寒かつたりしては老体にこたへる。

帰宅して風呂に入つてから夕餉の支度。おからで白ワインを少し。おからに銀杏が入つてゐると何だか贅沢な感じがする。貧乏性なのだらう。私が子供の時分には、銀杏を食べるのは正月だけだつた。茶碗蒸しに入つてゐるのである。器の底に一つ切り入つてゐるのだが、それがたまたま二粒あつたりすれば無闇に嬉しかつたものだ。

のち、かますの干しものを焼き、黒米入りの御飯、豚汁、沢庵。食後に苺を少し。

2016/03/13

ネロ・ウルフと「百万人の数学」

精進明けだが特に贅沢をするわけではない、一週間分の家事と読書の一日。

読書は「フーコーの振り子」(U.エーコ著/藤村昌昭訳/文春文庫)の他、"Three Men Out" (R.Stout / Bantam books) より "The Zero Clue" など。

"The Zero Clue" はネロ・ウルフものの短篇。被害者は大学を辞めてコンサルタントに転身した数学者で、死に際に鉛筆を並べた謎のメッセージを残す。つまり、言はゆるダイイング・メッセージのテーマである。被害者の専門が確率論といふところが面白い。最初はギャンブルや選挙の結果などの予測をし、公式(?)の精度を雑誌で宣伝したことから始まつて、段々と何でもかんでも世の中の問題が持ち込まれるやうになり、大金の失せ物探しで一発当てたことで、教授職を抛つて独立したといふ設定。これが書かれたのは 1950 年頃だが、既に確率論がかういふ注目のされ方をしてゐたのだらうか。

数学者が残したダイイング・メッセージといふことで、雑学の大家ネロ・ウルフも「記憶を確認するため」と称してホグベン「百万人の数学」を参照して謎を解くところも楽しい。短篇のわりに充実したプロットで、なかなかの佳作。ネロ・ウルフものがもつと翻訳されればよいのに、と常々思つてゐるのだが、過去の実績によれば日本ではあまり受けないらしい。今さら古い作品が訳されることはないだらうなあ。

2016/03/12

続・人生七年単位説

精進日。肉食と五葷を断ち、心静かに過す。

いや、「人生は七年単位」説をもう一つどこかで聞いたことがある、と思い、書庫で探索。どうやら、島崎藤村が人生を七年区切りで整理して、自分の子供たちにも人生七年単位説を教示したらしい。けっこう信奉者の多い説なのかも知れない。

2016/03/11

人生七年単位説

今日もスローでゆとりな朝支度。往きの車中の谷崎源氏は「東屋」から「浮舟」へ。

人生を一定の長さの区切りで考えることを指針にしている人は少なくないと思う。例えば、「論語」に「三十ニシテ立チ、四十ニシテ惑ハズ、……」とあるように十年単位が人間の成長の階段としてもっともらしい長さだし、また、干支が巡ってくるので十二年も何となく区切りが良く感じる。また、小学校に入るのが六歳、小学校時代が六年、中学高校あわせて六年なので、自然と六年が単位に感じる年頃もある。

私自身は自分を観察するに、大体七年くらいで考え方が変わっていくように思う。そして、これを自分の発見のように思っていたのだが、今日、湯船で「処世の智恵」(B.グラシアン著/東谷穎人訳/白水社)を読んでいたら、ずばり「個性は七年の周期で変わっていくと言われている」と書かれていて、それなりに普遍性のある観察だったのか、と少し驚いたことであった。

2016/03/10

朝のゆとり

今週は体調が良くないことを口実に、朝をかなりサボっている。起きるのも少し遅いし、朝食も簡易的だし、お弁当も作らないし、洗い物もしないし、家を出るのも遅い。おかげでかなり楽。普段からこれでいいのかも知れないなあ……と思ったり。

夕方退社して帰宅。お風呂のあと、おからでワインを少々。夕食も簡易的にかけ蕎麦(茹で卵、刻み葱、揚げ玉)。

2016/03/09

水曜日

空咳だけが残っているものの熱は完全に引いた。朝は春のような温かさだったのに、急激に気温が下がったようだ。午後、往訪のために外に出たら、冷たい雨。夕方には冬に戻っていた。

帰宅して風呂に入り、冷えた身体を温める。おからでワインを少々。葱と溶き卵のチキンスープを作って汁かけ飯にする。


2016/03/08

定紋

「我輩は猫である」効果か、熱が下がり他症状もおさまったので出勤。しかし時々、しばらく咳が止まらないことがあった。成駒屋の祇園守ハンカチで口元を押さえてしのいだが、やはりまだ安静が必要のようだ。それはさておき今月は京屋結びの方が相応しかったかも知れぬ。

帰宅して、できるだけおだやかに何もせずに過す。明日は外でお客様に会う仕事があるので、それまでに治さねば。

2016/03/07

風邪

咳であまり眠れず身体もだるかったのだが、体温は平穏よりちょっと高い程度。まあ大丈夫だろうと思って出勤。しかし、午後には熱も出てきて、オフィスにいるのが辛くなってきたので、早退させていただく。

先週後半から喉が痛むもののその他の症状は特になく、軽い風邪かな、と思って油断していたのが良くなかったようだ。帰宅して、豚肉でとったスープストックで葱と生姜のスープを作って飲み、寝台の暇潰し用の本を選ぶ。結局、「我輩は猫である」(「夏目漱石全集I」ちくま文庫)にした。どこで読みさしても問題なく、またそこから読み始めて問題なく、十分に長く、十分に短かく、常に面白い。

多分、明日には良くなっているだろう、と現時点(17:00)では思っている。

2016/03/06

「告解」

8 時過ぎまで寝てしまった。パンの補充を忘れていたので、珈琲とヨーグルトと蜜柑だけの朝食。朝風呂に入って湯船で「告解」(D.フランシス著/菊池光訳/ハヤカワ文庫)を読み進める。

昼食はブロッコリと茹で卵のサラダ、葱と生姜のスープ、レトルトのカレー。午後も読書など。「ブラック・スワン」(N.N.タレブ著/望月衛訳/ダイヤモンド社)は昨夜、読了。「まぐれ」と違ってこちらは読み返すまでもなかった。家事の合間に「告解」。

一週間分の家事を一通り終えて、風呂。湯船の読書は「アンチ・グルメ読本」(大河内昭爾編/福武文庫)。夕食の支度。豚肉と玉葱の生姜焼き、おから、豚汁。「告解」、読了。

今回の主人公は映画監督(もちろん元アマチュア騎手)だからか、いつもよりちょっと派手で、いつもより柔らかい。本のカヴァーに「シリーズ屈指のサスペンス」と書かれているがまったく誇張で、さほど大きな事件は起こらないし、サスペンスらしきものもあまりない。どちらかと言えば、事件よりも映画監督の苦労に焦点があるような感じさえする。ディック・フランシス作品の中では平均のちょっと下くらいかも知れない。とは言え、良く出来た娯楽小説ではある。

2016/03/05

小川のごとく

昨夜の就寝は遅かったが、朝はいつもと同じ 6 時前に目が覚めた。休日用の簡易的な朝食ののち、洗濯をしてから、朝風呂。湯船で「告解」(D.フランシス著/菊池光訳/ハヤカワ文庫)を読み始める。

昼食はお好み焼きとビール。食後しばらく昼寝。午後も家事と読書。二週間ほど前にタレブの「まぐれ」を読み返したらそれなりに有意義だったので、この週末は「ブラック・スワン」(N.N.タレブ著/望月衛訳/ダイヤモンド社)を再読する予定。

夕方二度目の風呂に入り、湯船で「ブラック・スワン」。夕食はおからでワインを少々のち、塩胡椒だけした豚バラ肉を焼く。鯵のひらき、沢庵、生姜入りの豚汁。食後に台湾茶。

ショーペンハウアーの言うところの「波も立てず渦も巻かず、小川のごとくに流れていく生活」とはこういうものであろうか。せめて土日だけでもそんな暮らしでありたい。

2016/03/04

東屋

相変わらず喉の痛みと微熱が続いている。風邪でなければ、花粉症デビューだろうか。往きの車中の谷崎源氏は「寄生」から「東屋」へ。第三の女、浮舟登場。

夜は E 社の N 社長と会食。青山のバーにて御馳走していただく。ヴァン・ショーを一杯とカルバドスを少し。そして今帰宅。

2016/03/03

風邪の進化

相変わらず喉の痛みと微熱は続いているが、他には特に体調は悪くないので、今日も普通に出勤。風邪をひいているのに免疫力が弱くて症状が出ていない、ということなのだろうか。もしくは、人間にあまり迷惑をかけない、より進化したニュータイプの風邪なのかも。それはさておき、今日の日中は特に急ぐ用事もミーティングもなく、休むには良いタイミングだったのだが。

夜は、某メディアのローンチ祝賀会に出席。弊社もちょっと裏方の仕事をさせていただいているので。帰宅して、これからお風呂。

2016/03/02

学食

相変わらず喉がいがらっぽくて、微熱もあるようだが、体調が悪い気はしないので普通に出勤。

水曜日は弁当作りを休む日なので、昼食は最寄りの学生食堂へ。組合員向けと非組合員向けの価格差が 50 円から 80 円に拡大していて、ちょっとショック。エリートをそこまで優遇するとはそれでも共産主義者か、ラーゲリでレーニン・ノートを百回書き写して自己批判せよ、と言いたいところだが、研究所構内を通り抜けて「プラチナ通り」の白金台マダム向けのリストランテへ……というわけにもいかず、カレーライスS。

2016/03/01

グラシアン

朝起きるとちょっと喉がいがらっぽい。しかし、それ以外に特に体調が悪いような気はしないので、いつも通りに朝食を済ませ、弁当を作り、出勤。もう三月とは言え、外はまだ寒い。

帰りの車中の読書は「秘められた感情」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ文庫)。パスコーが若々しい。帰宅して、湯船の読書は「処世の智恵」(B.グラシアン著/東谷穎人訳/白水社)。おからとワイン、鯵の開き、沢庵、里芋と葱の味噌汁。

夜は数独とバルタサール・グラシアンなど。喉のいがらっぽさは治らず、少し背中がぞくぞくする。風邪かなあ。