「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2016/07/27

明日の私

週末に講演をするので、その準備をしてゐる。普段、一緒に自主ゼミをしてゐる「ご学友」たちが聴衆の気楽な会ではあるのだが、いい加減な話はできないと思ひ、隅々まで詰めてゐる。いや、詰めようとしてゐる。

ところが悲しいかな、年老いたるものよ、数年前に自分で書いたことが分からないところだらけである。例へば、「この等式が成立することは、○○の定理と○○の公式よりただちに分かる」なんて書かれてゐる。どう見ても、ただちには分からない。ひよつとして論文が間違つてゐるのではないか、とまで疑つたが、二日間考へた末に、「ああ確かに、ただちに分かる(と言へなくもないな)」と理解した。

しかし、この定理とこの公式を使ふのだ、とキーポイントを書き残してゐるところからして、数年前にして既に私は、明日の自分を信用してゐなかつたのであり、それはまさに正しかつた、と言へよう。ヒントなしには、この部分の証明に何日費したことか。できなかつた可能性すらある。そして、私がもつと若かかつた頃、例へば三十代の頃ならば、「ただの計算。証明略」とか、「明らか」などと書いてゐたに違ひないのである。

昨日できたことが今日はできなくなり、今日できたことも明日にはできなくなる、と言ふことは悲しいが、物理定数の如く不動の事実であり、宿命なので、それを前提に諦観とともに行きて行くしかあるまい。