「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2017/03/31

最終日

一応、今月分フルに役員報酬も通勤費ももらつてゐるので、オフィスで何か仕事をしなければ申し訳ないかなあ、と思つて出社。でも近所の台湾料理屋でランチを食べて、レヴューらしきことを少ししただけですることがなくなり、午後すぐに退社。

これでいよいよ隠居生活になつてしまつた。さて、明日から何をしようかなあ。と、言ふわけで、この blog の更新も今日を最後にします。明日以降は時々、ひつそりとこちら("The Memoirs of Dr.Hara")で何かを書きます。




2017/03/30

植ゑ替へ

いつもの納豆定食のあと、``Wheelock's Latin" の演習問題を解き、Aaronson ``Quantum computing since Democritus" のデコヒーレンスと「隠れた変数」のところを讀んでから、今日は何をしようかなあ……としばらく考へてのち、出勤。既にお呼びでない氣もするが、今週一杯は通勤費をもらつてゐることだし、少しだけ殘務もないではないので。

午後すぐに退社して、神保町へ。古本屋で SF 本を色々購入。「ウェルズ SF 傑作集 1, 2」(H.G.ウェルズ著/阿部知二訳/創元推理文庫)、「人類皆殺し」(T.M.ディッシュ著/深町真理子訳/ハヤカワ文庫)、「ノーストリリア」(コードウェイナー・スミス著/浅倉久志訳/ハヤカワ文庫)、「祈りの海」(G.イーガン著/山岸誠編・訳/ハヤカワ文庫)、「あなたの人生の物語」(T.チャン著/浅倉久志、他訳/ハヤカワ文庫)。SF をちよつと研究してみようと思つて。珈琲屋で一服してから歸る。

歸宅して、懸案だったサンセヴェリアの植ゑ替へ作業。一回り大きめの鉢へ。なかなか可愛いものだ。

夕方風呂に入つてから夕食の支度。冷奴で冷酒を五勺、のち博多ラーメン(風ラーメン)。夜は「沈んだ世界」(J.G.バラード著/峰岸久訳/創元SF文庫)を讀む。これは真夏に讀む方が雰囲気が出るのだらうが、逆に耐へられないかも知れない。

2017/03/29

シャンパーニュを美味しくいただくコツ

若干の殘作業や引き継ぎがあるし、週末までは毎日出社する予定。

自宅で晝食を済ませてから出勤。三田で某案件の最後の往訪ミーティング。無事に終了。白金台のオフィスに移動し、私が代表として保管してゐた諸々の引き継ぎ。夕方と言ふには早い時間に既に退社。歸宅して、風呂に入つてから夕食の支度。菜の花の辛子和へ、新牛蒡と人参のきんぴら、焼きビーフンで、昨日開けたシャンパンの殘り。

私が思ふに、シャンパンを美味しく飲むコツとは、それに値することをすることである。それに比べれば、銘柄とかヴィンテジとかグラスとかお店とか何の意味もない。シャンパンに限らず、人生全般何事に就ても言へることですが。

2017/03/28

後生畏ル可シ

三月末日付けのつもりだつたのだが、今日の取締役会議と株主総会で、私の代表取締役からの辞任を承認してもらつた。その代はりと言ふわけではないが、若いエンジニア三名に新しく取締役になつていただけた。やはり若い人たちにどんどん自由に活躍してもらひたい。孔子の氣持ちが分かるわけではないが、「後生畏ル可シ」と言つたときには、若者の皆が自分を越えるやうであつて欲しい、と願つてゐたのではないか。

そして私自身もかなり自由になつたので、この二年余りに乾杯。

大体、構想に二年、伏線を引くのに一年、実施に數ヶ月と言ふところのプロジェクトだつた。カウントダウン画像は今日で最後。これまでについては ``z" ラベルで参照のこと。



2017/03/27

「地球の長い午後」

今週は冷たい雨の朝から始まり。春はもう少し先のやうだ。夕方退社。午後から晴れだしたが、やはり空気は冬の冷たさ。

「地球の長い午後」(B.W.オールディス/伊藤典夫訳/ハヤカワ文庫)、讀了。筋らしい筋はないのだが、人類の遠い遠い未來を描く想像力と、植物に呪はれたやうな世界の創造が凄い。地球も月も既に自転を止めていて、差渡し數マイルもある巨大な蜘蛛状の植物が、地球と月の永遠の晝の間に糸を張つて移動してゐる、なんて無茶苦茶なイメージをどこから思ひついたのやら。

ちなみにタイトルは、アメリカ・ペイパーバック版から訳した「地球の長い午後」より、原題の "Hothouse"(「温室」)の方が趣味が良いと私は思ふ。こんな作品だからこそ、卑近で地味かつコンパクトに「温室」と行きたい。まあ、趣味は人それぞれではあるが。

次の名作 SF を讀もう計画は、終末世界もの續きで、J.G.バラード「沈んだ世界」の予定。バラードは憑かれたやうに世界の終りを何種類も書いてゐるが、「地球の長い午後」の高温多湿感にあはせてみた。

2017/03/25

本のバナッハ=タルスキ現象

今日は良い天気だ。果物とヨーグルト、胡瓜のサンドウィッチ、半熟茹で卵、珈琲の朝食。洗濯をしてから、朝風呂。湯船の讀書は「地球の長い午後」(B.W.オールディス/伊藤典夫訳/ハヤカワ文庫)。再讀と思つてゐたが、どうやら初めて。十代の頃、「理科系の文学史」(荒俣宏著/工作舎)の中で紹介されてゐるのを讀んだだけで、本編も讀んだ氣になつてゐたらしい。晝食は焼き空豆とお好み焼きでビール。

午後は本棚の組立て。この前、本を整理して SF 小説のジャンルを独立させたら不思議なことに、並び替へただけで本が増加したやうで(名付けて「本のバナッハ=タルスキ現象」)、100 冊ほど納まらなくなり、SF 文庫本用に小型の本棚を新たに一つ購入。

現在、私は大小あはせて 18 台の本棚を使つてゐる。若干あふれてゐるので、理想的には 20 台以上必要だらう。まだまだ置く場所があるので、増加を特に心配してゐないが、手間ではある。今時の皆さんは本と言へば電子書籍なので、そもそもこんな心配も手間もないだらうが、私のやうな古い人間には樂しい手間だつたりするのである。

夕食は浅蜊の酒蒸し(長葱、三葉)で冷酒を五勺、菜の花のおひたし、新牛蒡と鶏肉の炊き込み御飯、三葉の赤だし。

2017/03/24

ペンローズ

夢現に「古楽の楽しみ」のリクエスト特集を聞いてから起床。納豆定食のあと、ラテン語の演習問題を解き、ペンローズの量子脳理論への Aaronson による批判のところを讀んで、出勤。

ペンローズのあれはちよつと變だよなあ、と思つてゐたのだが、その違和感がどこにあるのか、すつきりして有意義だつた。しかし、専門外でおかしなことを言つてゐるからと言つて、ペンローズが現存する世界最高の數理物理學者であることに違ひはない。私もペンローズの結構な、いや、大ファンだ。

私はオックスフォードの數學研究所でペンローズと隣同士のオフィスを使つてゐた。でも自慢するほどのことではない。私のオフィスはヴィジタ用の相部屋であり、ペンローズのオフィスは有名人用の相部屋だつたのである。その頃の私は、``The Road to Reality" に感激してゐたので、本にサインでもしてもらへば良かつたのだが、何度か見かけた時にも勇氣が出なかつた。今は後悔してゐる。講義や講演も、非専門家(だが數學者)向けのツイスター理論の講演に一つ出席したきり。

日差しには春らしい強さを感じるものの、風が冬の冷たさ。夕方退社して歸宅。風呂に入つてから夕食の支度。出來合ひの焼き餃子とポテトサラダでギネスビールを 1 パイントだけ。のち、焼きビーフン(豚肉、干し海老、長葱、人参、木耳)を作つて食す。さて、週末だ。樂しみにしてゐた「地球の長い午後」(B.W.オールディス/伊藤典夫訳/ハヤカワ文庫)を讀もう。

2017/03/23

春來たりなば

今日は良い天気で温かい。週末はまた冷えるやうだが、来週からはいよいよ春か。春になつたら、サンセヴェリア(名前はムラサキ)の植ゑ替へ作業をするのが樂しみ。

夕方退社して歸宅。風呂に入つてから、夕食の支度。真鰺のおつくりで冷酒を五勺。のち、出来合ひの焼き餃子とポテトサラダ、押し麦入りの御飯、しめじと葱の赤だし。食後にいただきものの栗蒸し羊羹で包種茶。

2017/03/22

「ベーシック圏論」

自主ゼミでもちよつと話題になつてゐた、「ベーシック圏論」(T.レンスター著/土岡俊介訳/丸善出版)を買ふ。私は今まで何度も、若い頃から何度も、圏論の勉強をしようとしたが、常に挫折してきた。教科書を數十ページ讀んだあたりで、あまりの簡単さ、もつと正確に言へば、あまりの自明さに耐へられなくなるのである。他の分野なら、いくら入門書でも、早い内に「そんなことが成り立つのか」と驚くやうな定理が出てくるものだ。ところが圏論と來たら……いや、今度こそ讀み切れることを期待したい。

今日も夕方からのミーティングで少し歸りが遅くなつたので、歸宅して夕食は出来合いのポテトサラダや焼き餃子でビール。


2017/03/21

「砂漠の惑星」

やはりまだ冬だつたのか、と思はせる冷たい雨の一日。ラテン語の演習問題を解き、量子計算によるデータベース検索の効率について讀み、少し小説を讀んでから出勤。いつものやうに仕事。夕方ミーティングがあつたので少し遅い歸宅。

「砂漠の惑星」(S.レム著/飯田規和訳/ハヤカワ文庫)、讀了。もちろんポーランド語が讀めないので翻訳を通しての印象だが、レムの文章は讀み難い。とは言へ、好きな作家である。SF 作家の中では一番好きかも。「砂漠の惑星」も傑作だと思ふ。同じくファーストコンタクト主題の古典である「ソラリス」などよりも普通の(?) SF らしく、ストレイトに表現されてゐるのが好ましい。ただしこのアイデアは、現代から見ればやや陳腐かも知れない。しかしそれは、レムの先進性が漸くコンセンサスとして認められた、といふ面が大きいのでは。

次の「週末に名作 SF を讀もう」企画は、ブライアン・W・オールディス「地球の長い午後」の予定です。

2017/03/20

「幼年期の終り」とバッハ

明日からバルコニーの洗浄と塗装が始まるのでその準備をしたり、本を整理したり。私の書庫の分類では、小説部門は「ミステリ」「それ以外」の二つにしか分かれていなかつたのだが、「SF」を新設してみた。

昨日、「幼年期の終り」(A.C.クラーク著/ 福島正実訳/ハヤカワ文庫)を讀了。ああ確かにかう言ふ話だつたよね、とストーリィを確認する読み方になつてしまつた。その意味では、再讀に耐へない傑作の一つかも知れない。また、そのテーマが現代 SF の視点からすれば陳腐かも知れない。しかし、その思弁の深さ、先駆性、ユーモア、小説としての完成度を総合して、私が言ふまでもなくベストテン級。少なくとも発表時点では、特に欧米人にとつて、衝撃的だつたのではないか。

それはさておき、再讀すると、すつかり忘れてゐた細部に妙に感心することがある。例えばこの「幼年期」だと、地球に一人殘された男が毎日バッハを聞いたり、ピアノで弾いたりしながら最期の日々を暮らすところの描写とか。ふと月を眺めて、月の自転の變化に気付くところとか。

「幼年期の終り」の次は、「砂漠の惑星」(S.レム著/飯田規和訳/ハヤカワ文庫)を讀んでゐる。


2017/03/18

再讀

さて、三連休は何をしようかなあ、そうだ、SF を讀もう。と、「幼年期の終り」(A.C.クラーク著/ 福島正実訳/ハヤカワ文庫)を讀み始める。ミステリと同様に SF にも、再讀に耐へない傑作が多い。「幼年期の終り」はどうだらう。

朝食は休日の簡易版、つまり果物、チアシード入りヨーグルト、茹で卵、クロワサン、珈琲。晝食は焼き蚕豆とお好み焼きでビール。夕食は韮レバ炒めで赤ワインを一杯だけ。のち、高菜炒飯、葱のヌードルスープ。食後に包種茶。

2017/03/17

starling pie

「古楽の楽しみ」のリクエスト特集、ヘンデルのハープシコード組曲など夢現に聞きながら迎える金曜日の朝。平日いつもの納豆定食、ラテン語、量子計算の後、改修工事の騒音に送られて出勤。

いつもと同じやうに夕方退社。歸宅してまずお風呂。湯船で  "Too Many Clients" (R.Stout / Bantam) を讀む。ネロ・ウルフとアーチーが「今年はいくつ ``starling" が欲しいか」という農場からの手紙に「40」と返す場面があり(「なぜなら通常、ウルフは ``starling pie" が出る晩餐にはゲストを二人呼ぶからだ」)、お風呂から出て辞書をひく。

starling noun a common bird with dark shiny feathers and a noisy call. (Oxford Advanced Learner's Dictionary, 6th Ed.)
starling n [鳥] ムクドリ,《特に》ホシムクドリ.(リーダーズ英和辞典 第2版/研究社)
 なるほど、ムクドリのパイか……おそらくゲイムの類であらう。そして、ネロ・ウルフは一年間に 10 回程度、ムクドリのパイを食べるものと推測される。

風呂上がりに、庶民はゲイムやジビエなんてものに縁がなく、おみやげの韮レバ炒めと焼き餃子でヱビスの白ビール。嗚呼、美味しい。三連休の前の金曜日の夜つて素晴しい。しかし、この喜びは平日があるせゐなのかも知れないなあ……としみじみ。よーし今日は夜更かしして、「にっぽんの芸能」観ちやふぞ。

2017/03/16

揚げ物

朝食抜きで健康診断ヘ。一時間半ほどの簡易人間ドック。体重が激減。自分では気付いてゐなかつたが、年末に実家で驚かれたのはなるほど、もつともだつたのか。毎日見てゐると變化が分からないものだ。嗚呼、それもこれも日々の氣苦労のせゐ……ではなく、日々お氣樂に暮らしてゐるので、単に食事量が足らないのだらう。もう少し食べるやうにしよう。

午後出社して、いつものやうに働き、夕方退社。歸りの車中で「死は万病を癒す薬」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ・ミステリ 1830)を讀み始める。歸宅して、風呂に入つてから夕食の支度。

焼豚、目玉焼き、焼き海苔、御飯、しめじと葱の味噌汁。最も健康とされる体重にするには、あと 10kg 以上太らなければならないが、こんな食事では駄目なのかも知れない。やはり揚げ物か……しかし一人分の揚げ物は面倒なのだよなあ。今後の研究課題としよう。

2017/03/15

「横断」

往きの車中で玉上「源氏物語」の第九巻讀了。歸りの車中で「横断」(D.フランシス著/菊池光訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)、讀了。

「横断」は競馬シリーズ第 27 作目。今回はド派手な設定で、大陸横断ミステリ競馬列車なるものが舞台。馬と競馬の大物関係者を乗せて競馬場各地を巡りながらカナダを横断する大旅行イベントだ。その車中では娯楽の一つとしてミステリの芝居が現実を舞台に演じられる。そこに競馬界の大悪党が邪悪な陰謀を秘めて、客の一人として乗車するという情報が。一方、主人公はその企みを阻止するため、保安部員(そして大富豪でもある)の身分を隠し、ウェイター(を演じる俳優)として乗り込むのだった……

派手な設定のわりに地味な話ではある。本格ミステリ作家なら、いくらでも趣向を盛り込めただらうが、特に舞台の特殊性が(ミステリ的意味では)生かされない。また、主人公像はやはりいつもと同じ。賢く、強く、清く、正しく、忍耐強く、高潔で、ブリティッシュなスポーツマン。さらに今回は特に理由なく、遺産相続による大富豪。莫大な遺産に背を向け、道楽でジョッキークラブの保安部員をしているのである。しかし荒唐無稽な感じを受けないところは流石だが。

色々言ひたいことはあるが、最初から最後まで一級の娯楽作品として、樂しくすらすらと讀めるのは確か。偉大なるかな、マンネリ藝。

2017/03/14

高菜カルボナラ

朝の新宿への往訪から始まり、ミーティング續きの一日。今日も私にしてはよく働いたなあ……と思ひながら歸宅。風呂に入つてから夕食の支度。ふと思ひついて、高菜でカルボナラを作つてみる。

結果は、「発想は惡くなかつた」とか「方向性は間違つてない」的な失敗プロジェクトにありがちな感想だつた。実際、不味くはないし、美味しくなくもないのだが、見ためが良くないし、何より、普通のカルボナラの方が美味しいのが問題。

2017/03/13

二本でも人参

また一週間の始まり。平日いつもの納豆定食のあと、珈琲を淹れ、工事が始まる前にラテン語と量子計算の勉強を少しづつ。サンセヴェリア(名前はムラサキ)と猫(名前はクロ)を愛でてから出勤。

いつものやうに仕事をして夕方退社。歸り道の八百屋で人参二本を百円で買ふ。大根も安かつたが、他の野菜はなかなかにお高い。春はまだ先らしい。

歸宅してまづ風呂。湯船の讀書は "Too Many Clients" (R.Stout / Bantam). 平日に湯船で讀むだけだが、流石に M.Innes よりは進度が早く、もう半分以上讀み終えた。夕食の支度。葱入りの卵焼き、塩豚の野菜炒め、押し麦入りの御飯、切干し大根の味噌汁。食後にいただきものの「二人静」で包種茶。

2017/03/11

「縞模様の霊柩車」

チアシード入りのヨーグルト、黒パンを二切れ、スクランブルドエッグ、珈琲の朝食ののち身支度をして、定例のデリバティブ研究部会自主ゼミへ。 Littlewood-Paley-Stein の不等式の証明の續き。ゼミ後のランチでは、海鮮かた焼きそば。

歸宅して、午後の殘りは「縞模様の霊柩車」(R.マクドナルド著/小笠原豊樹訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)を讀んだりして、のんびり過す。夕食はタイ風の春雨サラダとカレーで、ビール。タイ(風)料理はやはりビールであるなあ。食後に果物を少し。

夜も「縞模様の霊柩車」。讀了。なるほどうまい。ハードボイルドでもあり、本格でもあり、これほど少ない登場人物でここまで複雑な綾を作れるのは流石。文章もチャンドラーよりうまいくらい。しかし、不思議と登場人物に、特に主人公のリュウ・アーチャーに、魅力がない。深みがない。しかしそれがロス・マクドナルドの個性であって、短所ではないのだが。

2017/03/10

タルティーニ

夢現に、これはマンゼ演奏の「悪魔のトリル」だが、いつの間に誰が CD をかけたのだらう、もしや猫だらうか、と思つてゐたのだが、どうやら「古楽の楽しみ」でリクエストされてゐたのだった。確かにバロック期の曲だが、古楽だとは思つてゐなかつた。

今日も一日働いて、さらに本郷で所用を片付けたあと、その近くのハンバーガーショップで夕食。シーザーサラダ、ハンバーガー(フライドポテトとピクルス付き)、ビール。今週も無事に週末に辿り着いたことをビールで祝す。

「縞模様の霊柩車」(R.マクドナルド著/小笠原豊樹訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)を讀むために、いそいそと歸宅。

2017/03/09

時制

今朝も朝食のあと、軍手をつけてバルコニーのタイルを剥し、ラテン語と量子計算の勉強をしてから出勤。

駅まで歩きながら、外国語の時制とは不思議なものだと思ふ。ラテン語には現在、未來、未完了過去、現在完了、過去完了、未來完了の六つの時制がある。英語とは少し違つて、単純な過去形がないし、進行形もない。フランス語も進行形がなかつたやうに思ふが、確か、もつと色々と複雑だつた氣がする。それぞれの言語の話し手で時間の感じ方が違ふのだらうか。それとも同じなのだらうか。日本語の時制とは何なのだらうか。

今日も一日、色々と働いて、夕方退社。歸宅して風呂に入ってから、夕食の支度。キャベツと大蒜と塩豚の炒めもの、塩豚のカルボナーラ、白ワインを一杯だけ。労働のあとの一杯はうまい。さて、週末まであと一日だ。

2017/03/08

おむすび

マンションの修繕工事中のため、朝の靜かなはずの勉強時間が削られて弱つてゐる。「科学の耳栓」で対処してゐるが、場合によつてはかなりの騒音なので集中できない。もうしばらくの辛抱ではあるのだが、平日は明るくなったら暗くなるまで外で働いてこい、と言ふだけのことなのかも知れない。

暗くなつたので退社。歸宅して風呂に入つてから夕食の支度。鮭そぼろと高菜のおむすび、沢庵、葱の赤出し。たまにはこんなシンプルな夕食もよし。食後にいただきものの羊羹で包種茶。

夜は映画「ピアノ・レッスン」のサウンドトラックなど聞きつつ、靜かに暮らす。

2017/03/07

軍手

おんぶ日傘で花や蝶やと育てられ、箸が転がつても可笑しいお年頃の私が、タイル剥しとはね……と思ひつつ軍手を購入。軍手がこんなに安いものだとは知らなかつた。一双 500 円くらゐかと思つてゐたら、十二双でもお釣りが來る。一双 30 円そこそことは驚きだ。今までエルメスの革手袋なんてしてゐたのが馬鹿みたいだなあ……これから冬の手袋は軍手にしようか。

夕方いつもの時間に退社。歸宅して風呂に入つてから夕食の支度。油揚げの葱詰め焼き、南瓜のサラダでビール。のち、檀一雄の言ふところの台湾風おでんを御飯にかけて丼風に。紅生姜をあしらひ、ひねり胡麻をする。

2017/03/06

ロスマク

朝からバルコニーのタイル撤去作業。晝間は働いてゐるので、朝に時間を盗んで小分けにやるしかない。あと數日で片付けられるかなあ……と思ひつつ、今日も腰弁で出社する丈夫なだけが取り柄の愉快なアラフィフ男子だつた。

夕方退社。古本屋に注文した「縞模様の霊柩車」(R.マクドナルド著/小笠原豊樹訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)が届いてゐた。マーガレット・ミラーを讀んだついでに、「さう言へば、ロスマクだつて『さむけ』くらゐしか讀んでないぞ」と思つたので。新刊が品切れになつてゐることに驚きつつも、古本屋で購入。ちなみに「ウィチャリー家の女」も品切れだつた。ロス・マクドナルドですら「さむけ」以外の代表作は品切れと言ふ事態に、無常感。しかし自分だつて「さむけ」しか讀んでゐなかつたので、文句を言へる筋合ひではない。

「縞模様」は週末に一気に讀む予定。早く週末にならないかなあ……と思ひつつ、湯船で "Too Many Clients" (R.Stout / Bantam)の續きを讀む。

2017/03/04

「まるで天使のような」

一昨日と昨日の移動の車中で、「まるで天使のような」(M.ミラー著/黒原敏行訳/創元推理文庫)を讀了。最近、「田村隆一ミステリーの料理事典」(三省堂)を讀んで、意外と讀み殘してゐる古典的名作があるものだな、と思つたことが切掛け。マーガレット・ミラーなんか一作も讀んでゐないぞ、と。

マーガレット・ミラーと言へば、ロス・マクドナルド夫人で、ニューロティックかつ恐怖小説的なスリラーが得意、くらゐが私の全ての知識だつた。私はその手の作風があまり好きではないので、未讀のままになつてゐたのだらう。

「まるで天使のような」は流石、名作と言はれるだけのことはあつた。もちろんベストテン級ではないし、ベスト 100 級ですらないかも知れないが、この幕切れの印象深さは素晴しい。欠点は、この新訳版のあとがきで我孫子武丸氏も書いてゐるやうに、事件が「極めて地味」で、ぼんやりとしてサスペンスも薄いことだらうか。しかも、(ここが味噌でもあると私は思ふのだが)、事件だけを箇条書きのやうに書き下すと、讀者の誰でも真相に気付いてしまふだらうと思ふほど、単純。

しかし、山中に隠棲する新興宗教団体や、閉鎖的な田舎町の濃密過ぎる人間関係、やる氣がなさそうなのに妙なところに熱心で不良の癖に非常に知的でもある主人公の探偵、などの描写に独特の雰囲気があつて、ぐいぐい讀ませる。そして、その末にとんでもないところに連れて來られる。それを煙幕だと見做せばその見事さは、ミスディレクションなどと言ふ小手先の技術を越えてゐて、その意味では、ニューロティックスリラーと本格ものの驚くべき融合と言へなくもない。

2017/03/03

三月大歌舞伎

帰京して、夕方から歌舞伎座へ。知り合ひの邦楽家親子が、今回の演目の一つで人間國寶お二人に伴奏をつけられる。その奥方とご子息らがご家族で初日を参觀されるのに、ひよんな御縁から私もご一緒させていただく。しかし、東側二階の桟敷席をとつたら、演奏してゐる御姿が見えない、と言ふ失敗。それでも聴かせ所では拍手もあつたし、唄ひ手に大向ふから声もかかつてゐて、ご家族はほつとされてゐるやうであつた。

「双蝶々曲輪日記」の「引窓」は十次兵衛に幸四郎、濡髪長五郎に彌十郎、母お幸に右之助など。安定の舞台だつた。

「けいせい浜真砂」は藤十郎と仁左衛門。「絶景かな、絶景かな」で有名な「楼門五三桐」のほとんどそのままなのだが、盗賊の石川五右衛門が傾城の石川屋真砂路、つまり女になつてゐる。五三桐とは、鳥が持つて來る手紙の内容が違つたり、投げつけるのが小刀ではなくて簪だつたり、と微妙に違ふ。ちよつと不思議な演目。聞いた話では、動きが少ない舞台なので、立つてゐるだけで許されるやうな年配の大俳優が演じることが多い、とか。その意味では、今回の配役に文句のつけやうもない。

最後は河東節開曲三百年記念の演目で成田屋十八番の「助六由縁江戸桜」。もちろん、助六に海老蔵。揚巻に雀右衛門など。河東節が演じられるので、口上(右團次)つき。私は海老蔵があまり好きな役者ではないのだが、助六は別だ。海老蔵がやるしかないし、実際、既になかなか良いし、これからどんどん良くなるだらう。

全体に華やかで春らしく目出たい舞台だつた。こいつは春から縁起がいいね。

2017/03/01

花さく春に

三月弥生である。今日も朝から夕方までほどほどに働いて、とぼとぼと歸る。歸り道の花屋で桃の花が目に留まつたので、蕾が多めの枝を三本ほど買ひ求める。春が近いと思ふと、縮んでゐた心も延びるやうだ。

歸宅して風呂に入つてから夕食の支度。切干し大根の煮物、大根と人参の寒天寄せ、湯葉の刺身で冷酒を五勺。のち、三月に入つたことを祝ひ、歸路で買つた握り鮨。桃を愛でつつ、冷酒をもう少し。

愛読書の「和漢朗詠集」(三木雅博訳注/角川ソフィア文庫)によれば、桃は中国の花と言ふイメージが強く、梅や櫻に比べて和歌に詠まれない、と、三千年になるといふ桃の今年より花さく春にあひそめにけり、の歌の註釈にある。確かにそれはさうかも知れないが、桃の節供も近いことだし。

2017/02/28

二月から三月へ

二月最後の日である。朝は往訪ミーティング、午後からオフィスに戻つて、定例のミーティングと、来訪ミーティング。夕方退社。

歸宅して風呂に入つてから夕食の支度。大根と人参の寒天寄せと湯葉で赤ワインを一杯だけ。のち、生姜御飯の野菜カレー。

流石に今日はちよつと疲れた。早く寢よう。明日からはいよいよ三月だ。

2017/02/27

私の吐いた暴言に就て

オフィスで親会社が宣伝のため社員の写真撮影をしてゐた。さう言へば、かつて私も大學のパンフレットやゼミ紹介の写真撮影に何度もつきあつたが、この手の撮影は恥づかしいものだ。「黒板を指差しながら、楽しく議論してゐるやうな感じでお願ひします」とか。もちろん普段は、學生に「そこまで馬鹿な人間に數學をする資格はない。今すぐ田舎に歸つて親孝行しろ」と罵倒したり、灰皿を投げつけたりしてゐたのだが。嘘です。

私はとても優しい先生として知られ、御花畑のやうなゼミで評判だつたものだが、一度だけ學生に暴言を吐いてしまつたことがある。「自分が數學に向いてゐるか心配なんです」と言ふ學生に、つい心のままに、「心配ないよ。君は何にも向いてないから」と言つてしまつたのである。學生の顔色を觀て失言に気付いたが、既に遅し。そのせゐか彼は他大學の大學院に進學したやうだつた。

もちろん今の私ならば、さう言ふことは博士号をとつても職がなく非常勤講師で何とか食ひつないでゐる苦學者とか、それどころか既にパアマネントなポストにある人もが、苦悩の果てに漏らして漸く許される言葉であつて、學生ごときが口にすることではないのである、それにまた、君に才能があるかどうか私ごときに分かるはずもない、後世畏るべしの言葉通り、偉大な數學者になるやも知れぬし、どうにもならぬかも知れぬ、ただ、君がやりたいならやればよく、私にはさうとしか言へない、向いてる向いてないはどうでも良いことだつたのだといづれ君にも分かる日が來ることを願ふのみである、と、言を尽して述べたであらう。しかし、當時の私は未熟だつた。申し訳ない。

思へば、実は私も學生の頃、「自分は數學に向いてゐるだらうか」と指導教授に訊いたことがあるのだ。先生はかく曰はれた。「向いてゐると思ふ。ただし……就職の世話はしないよ」。流石である。格の違ひと言へようか。

2017/02/25

土曜日

休日の洋風朝食のあと、デリバティブ研究部会自主ゼミに出かける。重川「確率解析」より、T さんが Littlewood-Paley-Stein の不等式などについて発表。ゼミ後のランチは洋食屋にてメンチカツ。

歸宅して、粗大ゴミ出しなど雑用と、合間の讀書。夕方になり、風呂に入つてから夕食の支度。大根と牛筋の煮込みで赤ワインを一杯だけ。のち、湯豆腐、生姜御飯、油揚げと葱の味噌汁。

2017/02/24

月末の金曜日

今日は良い天気。しかし、正午頃にふと目を上げると、窓の外は青空なのに粉雪。思つたよりは冷える日になつた。

弊社のメンバに今日は「プレミアム・フライデイ」だと聞く。初耳である。なんと月の最後の金曜日には午後 3 時で仕事を終へて、買ひ物や二泊三日の週末旅行など消費に励め、と國が推奨することになつた、とのこと。虚構新聞の記事かと思つたら、本當らしい。

いつもより少し遅くなつたので、歸宅して先に夕食。いただきものの湯葉をさしみで。熱燗を五勺。のち、歸路で買ひ求めた押し寿司。冷酒を五勺ほど。

2017/02/23

ビッグ4

朝はあたたかい雨。今日はまた二十度近くまで気温が上がるらしい。平日お決まりの納豆定食の朝食のあと、いつものやうに少しラテン語の勉強をして、少しだけ ``Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press)を讀み、出勤。

夕方いつもの時間に退社。歸宅して風呂に入つてから夕食の支度。大根と牛筋の煮込み、出來合ひの焼き餃子でワインを一杯だけ。のち、牛筋でとつただしの煮麺。

夜はなぜかふと思ひ立つて、「ビッグ4」(A.クリスティ著/中村妙子訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)を讀む。名探偵ポアロが、世界制覇を企む謎の四人組「ビッグ4」と戰ふ。その四人は、中国はもちろん世界の策謀の全てを影で操る陰謀の大天才の中国人、世界有数の大富豪であるアメリカ人、ベクレルとキュリー夫人の再来とも呼ばれる天才科学者のフランス人女性、ポアロすら殺人の芸術家と舌を巻く天才的暗殺者のイギリス人である。聞くからに馬鹿馬鹿しい、クリスティ畢生の駄作として名高い逸品。しかし私は何故かこの作品が好きだ。猫マーク(スリラー、サスペンス)の創元推理文庫版「謎のビッグ・フォア」(A.クリスチィ著/厚木淳訳)も持つてゐるくらゐ。

2017/02/22

ヤングマン

今日もかなり寒い。いつものやうに働いて、夕方退社。最近の歸りの車中の讀書は「横断」(D.フランシス著/菊池光訳/ハヤカワ文庫)。

この小説の中に、年配の女性が若い主人公のことを「ヤングマン」と呼ぶところがある。確か、同著者同訳者の「告解」の中でも、引退した老教授が主人公をヤングマンと呼ぶ箇所があつた。おそらく凡庸な訳者ならば、「お若い方」とか「若いの」とか訳すものだと思ふが、これをそのまま「ヤングマン」とするセンスが流石、菊池光。

私もそろそろ(無駄に)経験豊かな老人として若者と話す歳になつて來たので、是非、これを使つてみたい。「それが人工知能だと? アラン・チューリングの二番目に有名な論文を御存知かな、ヤングマン」とか、「インタネット? ほんの半世紀ほど前のことだがテッド・ネルソンと言ふ男がザナドゥ計画と言ふものを唱へておつたのぢやよ、ヤングマン」とか。

2017/02/21

浩然の氣

今日は良い天気だが、北風が吹いて気温も低い冬らしい日。

今日もいつもの通りに仕事を終へて、夕方退社。歸路で買ひ物などしてゐたら遅くなつたので、歸宅して、先に夕食の支度。御飯が炊けるまで、大根と牛筋の煮物で熱燗を五勺。のち、時鮭、豚汁、焼き海苔、御飯。

夜はホットカーペットに猫と並んで、お互ひ心靜かに浩然の氣を養ふ。これからお風呂。

2017/02/20

黒猫亭事件

晝間はまた 20 度近い陽気だつたやうだが、夕方から気温も下がつて雨。小雨だと油断して傘を持たずに歸つたら、けつこう降られた。

歸宅して、まず風呂に入つて身体をあたためる。のち、夕食の支度。熱燗五勺ほどで、大根と牛筋の煮込み。のち、大根、人参、蒟蒻、豆腐、葱で、けんちん蕎麦。冬はかういふ感じがいいね。

夜は古谷一行の金田一耕助シリーズ「黒猫亭事件」を觀る。この黒猫はクロと言ひまして、この店の看板猫であります。

2017/02/18

おでん

十時間寢て八時起床。百合に水をやり、サンセベリアを点検し、猫に水とキャットフードをやり、自分に果物とチアシード入りヨーグルトとクロワサンと茹で卵と珈琲をやり、おまけに猫に「ちゅ〜る」をやる。マタタビ系のものでも含有してゐるのか、この吸引力は怪し過ぎる。

朝風呂に入つて、湯船で  "Too Many Clients"(R.Stout / Bantam Books)を讀む。時々、この時代の米俗語が分からないが、イネスに比べれば遥かに読み易い。しかしスタウトは時折かなりひねつた表現をするので、頭の体操になる。序盤は快調。

銀行口座の残高が心許無いウルフ一家。ウルフが鯨飲するビールと美食と蘭の費用、料理人フリッツと蘭の世話係セオドアと部下アーチーの給料をやりくりしなければならない上、納税の時期まで迫つてゐる。ウルフ家の経済に心を痛めるアーチー(ここまでシリーズのお約束)。そこに待望の依頼人が来訪。依頼人イェーガーは大会社の役員で、今夜、自宅から指定の場所まで行く間に、誰かに尾行されないか見張つて欲しいと言ふ。段取りしたアーチーは、依頼人が自宅から出かけるのを待つが、誰も現れない。イェーガーは既に殺されてゐたのだ。しかし、被害者の写真を見ると依頼人とは別人、つまり、依頼人はイェーガーを名乗る偽者だつたのだ。何がどうなつてゐるのか……と言ふところまで。

晝食は土曜日お決まりのお好み焼きとビール。これが私の小確幸。食後に少し晝寢をしてから、午後は原稿の推敲仕事と、夕食のおでんの仕込み。お三時にシュークリームと珈琲。夕方再び風呂に入つてから夕食の支度。おでんで冷酒を一合ほど。のち、おでんのだしをのばして味噌で少し味を整へ、油揚と葱を刻み入れて煮麺。

2017/02/17

春一番

「古楽の楽しみ」のリクエスト特集に金曜日を感じる。古楽はわりに狭い世界なので、リクエスト特集をすると、奏者がレオンハルト、クイケン、アーノンクール、ブリュッヘン、ビルスマ、鈴木秀実、などとお決まりばかりになつてしまふのが難点ではある。

朝から温かい。特に晝間は春の陽気だつた。ものすごい風は、春一番だつたのだらうか。いつもの時間に出社して、いつものやうに働き、いつもの時間に退社。夕方には、また空気が冷たくなつてゐた。

帰路、握り鮨を買つて歸宅。風呂に入つてから夕食。冷酒を五勺で鮨。石蓴の味噌汁。食後に包種茶。やれやれ今週も何とか無事に過せた。

2017/02/16

依頼人が多過ぎる

今日、明日は随分温かくなると聞いてゐたが、朝はそれほどでもない。今朝から車中の玉上「源氏物語」は第九巻、「早蕨」の帖に入つた。通勤時間で全十巻を讀み終へる目論見だが、どうなるか。

夕方退社して歸宅。まづ風呂。湯船の讀書は、今日から "Too Many Clients"(R.Stout / Bantam Books). 言はずと知れたネロ・ウルフもの。私はかなり好きなシリーズなのだが、何故か日本ではあまりうけず、翻訳もあまりされてゐない。私の知る限りでは、レックス・スタウトを絶賛してゐたミステリ評論家は中島梓(栗本薫)くらゐではないか。(まあ、彼女の視点がある意味、腐つてゐたのかも知れないが。)私は老後の楽しみとして、このシリーズの未訳本を讀んで行く予定である。

夕食の支度。筍と蒸し鶏の和へものでワインを一杯だけ。のち、親子丼、えのき茸と葱の味噌汁。

2017/02/15

"The Paper Thunderbolt" とボドリアン図書館

税務署詣でをしてから出勤。普段より少しだけ遅く出社。午後は新宿に往訪。夕方に終了次第、かなり早いがそのまま歸宅。

まづ風呂。湯船の讀書は "The Paper Thunderbolt" (M.Innes / Penguin). 平日毎日、湯船で2、3ページづつ讀んでゐたものが、終に讀了。半年くらゐかかつた。イネスらしいと言へばイネスらしい怪作か。絶対に翻訳もされないだらうし、わざわざ讀む日本人もほとんどゐないと思ふので、あらすじを書いてしまふ。

小悪党が偶然、惡の組織の秘密基地に入り込み、その重大な秘密を盗み出しての長々と續く逃走劇の一方、オックスフォードでは大學関係者たちの失踪事件が発生、この二つのストーリィの焦点は田舎村にある療養施設で、これこそが例の秘密基地。そこでは、人間を対象に邪悪な研究と実験が行はれてゐた。アプルビイ兄妹始め善玉たちは基地を破壊することに成功する。しかし、小悪党が持ち出した「秘密の公式」が書かれた一葉は、ボドリアン図書館の書庫の膨大な書物のどこかに紛れ込んでしまつた。広大な書庫での善玉悪玉の追ひかけつこの末、意外な黒幕が明らかになるのだった。以上。

そもそも始まりの逃走シーンが長い、長過ぎる。意味なく長い。また、秘密基地の強襲に、小悪党の逃走劇に偶然関係した子供たちが自転車隊を組んで仲間入りするところなど、これまた意味のないドタバタもあり、あちこちがイネス風味。最後のボドリアン図書館書庫の場面は、登場人物から「ピラネージのやう」と評される重厚な雰囲気が良し。その他は……特に印象に殘らない。多分、イネスらしい駄作。イネスのマニアか、研究者以外には讀む価値がないと思はれる。

ところで、私はボドリアンの自然科学系の分館には一年ほど日参してゐたが(ちなみに、殺風景かつ現代的な図書館である)、良く考へたら、ボドリアン図書館そのものには一度も足を踏み入れなかつた。残念なことをしたものである。ラドクリフ・カメラに二、三度行つてその雰囲気に満足してしまつたものと思はれる。

2017/02/14

百合とひよこ豆

昨夜、花瓶がカサブランカの重さに耐へ兼ねて倒れる事故。茎が折れてしまつたので、やむをえず花毎に小枝に切り分けて、デュラレックスのグラスなどに生ける。

今日の午後は夕方まで休みなく續けてミーティング三昧で、疲れた。遅くなつたので歸宅して、まず夕食。まともな料理をする氣力がなく、かけ蕎麦に茹で卵と葱と揚げ玉。のち、いただきもののひよこ豆の煮物で、赤ワインを一杯だけ。

さて、これからお風呂。

2017/02/13

えびまよ

さてまた月曜日だ。平日お決まりの納豆定食のあと、ラテン語の勉強をし、「キューネン 数学基礎論」(K.キューネン著/藤田博司訳/日本評論社)を讀む。一日精々が數ページだつたので数ヶ月をかけて、終に讀了。集合論について興味の焦点が分かつたのが収穫。教科書としては、あれこれ書き過ぎてゐるし、あまり見通しの良い本とは言へないと思つたが。

歸宅して風呂に入つてから夕食の支度。海老マヨネーズでワインを一杯だけ。のちに、蒸し鶏、さらに、そのだしをのばして、汁かけ飯。うまい。体調はもう一つだが、今日も平穏で良い一日であつた。

夜はホットカーペットに猫と並んで、「荘子物語」(諸橋轍次著/講談社学術文庫)を讀んだり。

2017/02/12

7×7=49

休日用の手抜き洋風朝食を済ませたあと、朝風呂。午前中は所得税の確定申告書の作成。晝食は昨日の十目焼きそばの材料の殘りの烏賊や海老を使つて、いつもより贅沢なお好み焼きでビール。食休みのあと午後は、PC 類の廃棄、口座の整理の他、家事をあれこれ。

夕食の支度。冷奴、烏賊と筍と絹莢ともやしの塩炒めで、リースリングを一杯だけ。のち、豚肉の生姜焼き、押し麦入りの御飯、豚汁。食後に包種茶。夜は心靜かに「荘子物語」(諸橋轍次著/講談社学術文庫)を讀んだり。


2017/02/11

デヴュー?

8 時起床。洗面所で鏡を觀ると左目の瞼が腫れてゐる。働き過ぎかなあ。または花粉症デヴュー? 休日用の洋風朝食のあと、朝風呂。午前中は PC 類の廃棄処分の手続き、食材の買ひ出しなど。

晝食は十目焼きそばでビール。手間がかかる割に食べるのは一瞬。これが料理のダンディズム。食休みしてから、所得税の確定申告書の下書き作り。今年から「マイナンバ」のおかげで面倒さがさらにアップ。早く引退して所得をなくしたい。珈琲とシュークリームのお三時のあとは、主に讀書など。原稿の推敲作業を少し。

夕方再び風呂に入つてから夕食の支度。生春巻と、レトルトのカレー。ワインを少々。夜も安靜に過す。

2017/02/10

今日も雪

今日は一日晴れかと思つてゐたのだが、昨日と同じく仕事の手を休めてふと目を上げるとオフィスの窓の外は雪。群鶴ノ毛ヲ振フガ如シ。家で留守番をしてゐるクロさんやムラサキさんは大丈夫だらうか、としばし物思ふ。

夕方からの親会社の全体会議を終へて、退社。今日から帰路の讀書は「横断」(D.フランシス著/菊池光訳/ハヤカワ文庫)。歸り道で百合を買ひ、焼き餃子を買ひ、歸宅。遅くなつたので先に夕食。百合と猫を眺めつつ、ビールで焼き餃子。ああ、今週も何とか大過なく暮らせた。

嗚呼、君よ、「この一杯のために生きてるんだなあ」などと馬鹿なことを言ひながらビールを飲んでゐる週末のサラリーマンを蔑んでくれるな、彼らは確かに君より頭が惡く、要領が惡く、不幸で、自由を知らぬのだらう、それでもなほ死なずに前向きに生きてゐるだけ立派ではないか。

2017/02/09

雪と霙

仕事の手を休めてふと目を上げるとオフィスの窓の外は雪。道理で朝から冷えると思つた。家のクロ(老猫、雑種、雌)とムラサキ(観葉植物、Sansevieria ehrenbergii Samurai)は大丈夫だらうか……と思ふ。西の方は大雪らしい。み吉野の山の白雪つもるらしふるさと寒くなりまさるなり。(是則)

夕方退社。外は、冷たい霙。車中で「ダルジールの死」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ・ミステリ 1810)を讀了。ダルジールが意識不明の重体のまま、パスコー大活躍の巻。ミステリと言ふよりは大河小説になりつつあるが、後期では出來の良い方か。ダルジール警視シリーズはあと二冊だが、また明日からはディック・フランシス。

歸宅して風呂に入つてから夕食の支度。茹で卵と生野菜のサラダ、牛脛肉のカレー。赤ワインを一杯だけ。今日も何とか無事に過せた。寢るまでに、少し推敲仕事ができれば上々吉。

2017/02/08

立ち仕事

高さ可変のスタンディングデスクが新オフィスに導入されたので、試しに使つてみる。腰への負担は少ないが、立ち續けてゐるのはやはり疲れる。輕く後ろに凭れられるものがあると、もつと良いのだが。結論として、普段は椅子に座つて仕事して、気分転換に時々、半時間ほどスタンディングデスクで立つて仕事、くらゐの感じが良いかな。

いつもの時間に退社して歸宅。風呂に入つてから夕食の支度。南瓜の塩蒸しと冷奴(生姜醤油)で熱燗を五勺。のち、長葱と茹で卵と揚げ玉のかけ蕎麦。

最近買つた本がたまつて來た。積読状態の本を斜め讀みする夜。ちなみに私は自宅では、仕事も讀書も全てカーペットか寢台に寢転んでしてゐる。

2017/02/07

數學者の尻尾

毎朝、ちよつぴりづつ讀み續けてゐた「キューネン 数学基礎論」(K.キューネン著/藤田博司訳/日本評論社)がいよいよ最後の章の最後の節に入つた。ゲーデルの不完全性定理とか。おそらくあと一週間程度で讀み終へられるのでは。意外と進むものだなあ、と。

しかし一方では同じやうに毎日勉強してゐる "Wheelock's Latin"(F.M.Wheelock & R.A.La Fleur / HarperCollins)は未だに第 XI 章をやつてゐる。このテキストは全 XL 章、つまり全 40 章なので四分の一程度。未知の言語を學ぶのは難しい。數學も一種の言語だが、私も二流以下の三下だつたとは言へ、もと數學者としてこの言語の一通りは尻尾の先に畳み込んでゐる。新しい數學分野を學ぶ苦労も、今さらラテン語を學ばんなどと言ふ無茶に比べればさほどではないらしい。

朝の勉強のあと出勤して、いつものやうにお仕事をして夕方退社。歸宅して風呂に入つてから夕食の支度。生野菜に生姜醤油ベースのドレシング、出來合ひのポテトコロッケ、牛脛肉のカレー。赤ワインを一杯だけ。夜は老猫と人生に就て語り合ふ。つい話し込んで長くなつてしまつた。

2017/02/06

オフィスの移動

オフィスを引越した。と言つても、親会社の事情で同じビルの中を二階上に移動しただけだが。夕方からオフィスで引越しパーティがあり、手巻き寿司を少しご馳走になつてから退社。晝間、有明の方に往訪仕事に行つたときには温かかつたのに、随分と寒い。

歸宅して風呂。湯船の讀書は  "The Paper Thunderbolt" (M.Innes / Penguin). いまだに讀んでゐるのだが、流石にもうすぐ終はりさう。あと 30 ペイジくらゐだらうか。

今日も往訪したり、パーティで卓球したりと、大いに疲れた。夜は「ブッデンブローク家の人々」(T.マン著/望月市恵訳/岩波文庫)の續きでも讀んで、ゆつくりしたい

2017/02/04

猿若祭二月大歌舞伎

八海山純米吟醸を一合ほど水筒に詰め、三越の地下の寿司屋でお弁当を調達して、歌舞伎座へ。「猿若祭二月大歌舞伎」晝の部を觀劇。

猿若に勘九郎、出雲の阿国に七之助の「江戸の初櫓」は猿若祭にふさわしくもおめでたく幕開けによろし。七之助は相変はらず綺麗。

「大商蛭子島」も清左衛門(実は北条時政)に勘九郎、おます(実は政子の前)に七之助。主役は正木幸左衛門(実は源頼朝)に松緑、おふじ(実は辰姫)に時蔵。危なげのない配役だが、松緑は柄として頼朝といふ感じがしない。

黙阿弥原作の白浪もの「四千両小判梅葉」は富蔵に菊五郎、藤岡藤十郎に梅玉。さすがに、安心して觀てゐられる。とは言へ、通しではなくて、上演される場面が少ないため、牢屋の風俗の面白さだけが眼目になつてしまふ感もあり。

夜の部は中村屋のお子さん方の初舞台のためか大入りでほとんど席が取れないやうだが、多分そのせゐで晝の部は空いてゐる。

2017/02/03

パクチー責め

昨夜は飲み過ぎ食べ過ぎだつたので、朝食は簡単にチアシード入りのヨーグルトと珈琲だけ。朝一番の往訪仕事のため即、出勤。ラテン語の勉強時間とお弁当を作る時間がとれず。今週は風邪氣味だつた上に、イレギュラなイベントが色々とあつて疲れてゐる氣がするので、今日はかなり早い時間に退社。

歸宅してお風呂のあと夕食の支度。鶏レバと茹で卵のウスターソース漬けにパクチーで赤ワインを一杯だけ。のち、パクチーの殘りを一気に消化するため、タイ風の春雨サラダにパクチー、海老カレーにパクチー盛り、とパクチー責め。特に好きなわけではなく、料理によつてはあるべきだなと思ふ程度なのだが、少しだけ買ふわけに行かない。そのため、かう言ふことになつてしまふ。

今日は久しぶりにゆつくり寢られさう……

2017/02/02

焼き肉

今夜は、弊社が初の通期黒字になつたと言ふことでお祝ひをしてゐただいた。ホルモン焼き肉の店だつたのだが、焼き鳥屋のやうにお店の人が全て焼いてくれるのが画期的だな、と感心した。普通は各人が勝手勝手に焼くので、会話に夢中になつてゐる間に、焦して炭にしてしまつたりするものだが、お店の人が段取り良く焼いてくれて無駄がない。樂だし、食事と会話に集中できて結構だ。

そして今、歸宅。これからお風呂。明日は朝一番で往訪仕事があるので、早く寝なければ。

2017/02/01

海鮮粥

昨夜は遅くまで飲み食べしてゐたので、今日の朝食はあつさりと、チアシード入りのヨーグルトと珈琲だけ。ラテン語と基礎論の勉強のあと出勤。

晝食は近所の台湾料理屋にて、小籠包と海鮮粥。お粥がとても美味しかつたのだが、量が多くて困つた。何とか食べ切つたけれども、お粥を丼一杯食べるといふのは日本人のセンスではないやうに思ふ。雪平から呑水かお手塩にとつて、少しづつ食べるものでは。

今日は特に予定がなかつたので、マイペースであれこれ仕事が出來て、いつもと同じ時間に退社。歸宅して、風呂に入つてから夕食の支度。鶏レバのウスターソース漬けで赤ワインを一杯だけ。のち、パクチーを多めに盛つた海老カレー。夜も心靜かに暮らす。

2017/01/31

居酒屋

昨日は春の陽気だつたが、今日はまた冬に戻つたやうだ。

いつもの時間に退社、一旦自宅に戻つてから、再び外出。本郷の居酒屋にて、若者たちと会食。鮮魚系のあれこれとつみれ鍋で、冷酒を一合。そして今、歸宅。これからお風呂。

2017/01/30

京都の一銭洋食の謎

朝から妙に温かい。これなら鶏も始めて鳥屋につくと言ふものだ。いつもの時間に出社、退社。歸宅して風呂。湯船で「日本三大洋食考」(山本嘉次郎著/旺文社出版部)を讀んでゐると「一銭洋食」が出て来た。

大正と昭和の境目の頃の京都の話なのだが、この「一銭洋食」とはミニサイズの串カツらしいのである。一本一銭を十本単位で売つてゐたとのこと。しかし、私の知る一銭洋食とは、貧しいお好み焼きと言つた感じのものだ。確か、南座の前を縄手通りに入つたあたりにも一銭洋食屋があつて(今もあるはず)、そんな感じのものを売つてゐたから、少くとも現代では、京都でもあれが一銭洋食のはずだ。

しかし、良く考へてみると、ミニサイズの串カツと、葱と紅生姜と竹輪のクレープと、どちらが「一銭洋食」の名前に相応しいだらうか。明らかに、一銭で食べられる洋食料理である前者だ。「一銭洋食」が串カツを指してゐた時代があつたのかも知れない。それとも、山本嘉次郎かその店自体が勘違ひしてゐたのか? 謎である。食文化に詳しい方にご教授願ひたい。

その謎はさておき、この話が出てゐる随筆「ようイーさっさ地蔵盆」は昔の京都の風情がしみじみとして、しかも物凄く美味しさうな文章であるから、一讀をお薦めしたい。

2017/01/29

ハードボイルド

七時起床。一週間分の家事の合間に、讀書をしたりスケッチをしたりの一日。生まれてから半世紀ほど、絵なんてほとんど描いたことがなかつたので、何もかもうまく出來ないし、何をどうしたら絵になるのか謎だらけで楽しい。人に教はつたり本で勉強したりすると、すぐ上手になつてしまつて面白くないので、独りで探求を續けたい。

朝食はチアシード入りのヨーグルト、パン、茹で卵、珈琲。晝食は砂肝と長葱の大蒜炒めでリースリングを一杯ののち、鶏南蛮蕎麦。三時にチョコレートとバナナのペイストリと珈琲。夕食はココナツミルクベースの海老カレーとビール。

これから「古典芸能への招待」で厳島観月能を観てから就寝予定。さて、明日からまた一週間だが、せめて今は穏やかな気持ちでゐよう。



2017/01/28

逆に言へば

7 時起床。休日用の簡単な朝食のあと、ラテン語の勉強をしてから、出動。前回は所用で欠席したので今年初のデリバティブ研究部会自主ゼミ。重川「確率解析」より T さんの発表で Burkholder の不等式、最大エルゴード不等式など。ゼミ後のランチは中国料理屋にて。黒酢の酢豚。

ふと思つたのだが、日常会話で「逆に言へば……」とか「逆に……」と言ふときは、大抵、論理的には「逆」ではなくて「裏」なのではないか。論理的な人の場合には「対偶」だつたりするかも。

歸宅して、少し書き物仕事をしてから後は、``Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press)を讀んだりしてのどかに暮す。夕食は酒と醤油だけで調味する鶏もつ鍋。赤ワインを一杯だけ。もつ鍋のあとは(インスタント)ラーメンが定番なのだが、今日はきしめんを使つて焼きうどん風にしてみた。べろべろ感が悪くない。夜は、特にこれと言つた理由はないが、「グリーン家殺人事件」(S.S.ヴァン・ダイン著/井上勇訳/創元推理文庫)を研究してみよう、と思つて再読。


2017/01/27

金曜日のビール

新宿方面での往訪仕事のあと、私用のため移動。遅くなつたので、夕食は自宅の近所のカレー屋にて。歸宅後、風呂に入つてから、まさに今、焼き潤目鰯を肴にビールを飲んでゐるところ。うまい。

今週はかなり辛かつたが、何とか無事に週末に辿り着いた。誰の上にも兎に角、週末はやつて來る。ありがたいことである、と思ひつつ、花と猫を愛でる金曜日の夜。暇にまかせて、また猫スケッチ。

2017/01/26

ごく普通の一日

今週初めて普段通りの平日。ラテン語、數學基礎論を三十分づつ勉強のあと、少し暇があつたので何となく猫のスケッチをした。意味はない。往きの車中の讀書は玉上「源氏物語」、椎本の帖に入つた。薫が出生の秘密を知る邊り。

夕方退社。歸りの車中の讀書は「ダルジールの死」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ・ミステリ 1810)。歸宅してまづ風呂。湯船の讀書はいまだ  "The Paper Thunderbolt" (M.Innes / Penguin). 漸く最後の部に入つた。風呂のあと夕餉の支度。毛蟹の殻と昆布でだしをとつた細葱の味噌汁、豚ニラ玉丼、沢庵。豚ニラ玉は一部、明日のお弁当のおかずに。食後に包種茶をいれる。

これから寢台で、「ブッデンブローク家の人々」(T.マン著/望月市恵訳/岩波文庫)を一章だけ讀んでから、諸橋論語の看経。のち就寝予定。

2017/01/25

かき揚げ蕎麦

いつもより早く出勤して朝一のミーティング。朝、ラテン語の勉強をしてゐる時間がなかつたので、午後の休憩時間を利用して三十分、ラテン語。かう言ふ時のために、"Wheelock's Latin" の kindle 版も買つてあるのだ。急に夜にもミーティングが入つたため、その前に近くの生協食堂でかき揚げ蕎麦の夕食。

ミーティング終了後退社して、今歸宅。これからお風呂。そのあと、寢る前にお弁当の惣菜を作る元氣があるかどうかで、明日の晝食がお弁当か外食かが決まる。

2017/01/24

日本三大洋食考

昨日の朝から調子がいまひとつだつたのだが、今日の午後に至つて、体調を崩しさうな予感が。明日の朝一にミーティングが入つてゐるし、ここが予防の意味で休むタイミングであるぞ、と判断して、四時半くらゐに退社。

歸宅して、風呂に入つてから、取り置いてあつた毛蟹の身に酢をかけてアルザスのリースリングを一杯、のち、蟹味噌で適当にパスタ料理。

あとは温かくして横になつて、好きな本を讀むだけの夜。「日本三大洋食考」(山本嘉次郎著/旺文社出版部)。

2017/01/23

月曜日

土日とも家でごろごろしてゐたのに、低調な月曜日の朝。とは言へ、何とか朝食の支度、ラテン語、數學基礎論、弁当作りを 20 分くらゐづつでこなして、出勤。

夜は目黒にて会食だつたので、今、帰宅。これからお風呂。

2017/01/22

「野獣死すべし」

休日用の簡単な朝食。三十分ラテン語の勉強をしてから、朝風呂。そのあとは家事とその合間の讀書の一日。珈琲豆を切らしてゐて、三日ぶりに珈琲を飲んだら、物凄く美味しかつた。しかも飲んだ後、三十分くらい頭が妙に冴えてゐた。一日最大でも三杯に止めているのだが、カフェイン中毒なのだらう。禁酒日の前に、禁珈琲日を週に一日くらゐ作るべきかも。晝食は焼きそばとビール、夕食は出來合ひの豚カツでカツ丼と沢庵、毛蟹の殻でだしをとつた味噌汁。

「野獣死すべし」(N.ブレイク著/永井淳訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)、讀了。古典的名作だが、やはり良くできてゐるし、モダンでもある。前半が殺人計画を実行しようとする男の視点での手記、後半は黄金期ミステリらしいスノッブな名探偵が登場しての第三者視点という対照的な構成が、物語の内容と本質的に関係してゐるところが、今讀んでも新しい。

二部あるいは三部構成で語り手や視点を切り替へるミステリ作品はしばしばあるが、その構成を自然に見せることが難しい。また、ミステリである以上、作者の企みが何かあるぞと讀者は身構へて讀む。そして、もちろん企みがあるので、作者としてはさらにハードルが高くなる。その意味で、なかなかこの作品ほどうまく処理できないものだ。


2017/01/21

毛蟹

七時起床。休日用の簡単な朝食。チアシード入りヨーグルト、苺を數粒、パンとチーズ、ココア。朝風呂に入つて、午前中はラテン語の勉強と讀書など。

晝食はお決まりのお好み焼きとビール。チゲ風スープ。午後も猫や花の相手をしたり、讀書などでのんびり暮らす。「野獣死すべし」(N.ブレイク著/永井淳訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)、"Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press)など。

夕方また風呂に入つてから夕食の支度。年明け初めて平日が五日あつた週の週末を言祝ぐため、毛蟹の塩茹でで熱燗五勺。のち、毛蟹の殻と昆布をだしに味噌味の雑炊を作り、蟹味噌を混ぜながら食す。リースリングを一杯だけ。生きてゐるつて素晴しい。

夜も「野獣死すべし」の續きなど。いい休日である。

2017/01/20

映画「ゼロの焦点」

歸りの電車で考へ事をしてゐたら、違ふ駅で降りてしまひ、しかもその途端に遅れが始まつたやうで、次の電車がなかなか來ず。

歸宅がかなり遅くなつてしまつたので、先に夕食。熱燗で身体を温めつつ、お土産の握り鮨。ヴィデオで映画「ゼロの焦点」(野村芳太郎監督/1961年)を觀る。暗い……雪の北陸が暗過ぎる。そして映画全体の長さの三分の一以上が解決編で、探偵役と犯人が断崖絶壁で語る語る、語りまくる。破調と言つてもいい構成だが、「羅生門」のやうな深さと凄みがある。主役の女優三人がどれもいいが、高千穂ひづるの顔の怖さと、有馬稲子の顔の可憐さが出色。多分、名画。少なくとも今の日本人にはこの映画は作れまい。

2017/01/19

雪と梅

年明け以來、六時に起きられない。困つたものだ。朝食のあと、ラテン語の勉強を 30 分弱。単語カードは 4 冊目に入つた。まさに笊で水を汲むやうだが。

夕方退社して歸宅。風呂に入つてから夕食の支度。きのこ類と鶏肉を、全く適当にポン酢味の蒸しものにしてみたら、何だこれ無闇に美味しい。再現できないけれども。リースリングを一杯だけ。のち、大根葉とちりめんじやこのふりかけで押し麦入り御飯、豆腐と長葱の味噌汁。

さて、明日は年明け初めて平日が 5 日あつた週の漸く金曜日だが、予報によれば、雪が降るやうな寒く暗い一日になるやうだ。「雪ふれば木毎(ごと)に花ぞ咲きにける」と明るいユーモアで眺めたいものである。

2017/01/18

車中のナンパ

夕方退社。車中で「ダルジールの死」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ・ミステリ 1810)を讀んでゐると隣に、つばの広い黒い帽子をかぶり、やはり黒のマキシのフェイクファーコートを着た、やけに美女オーラを放つ女性が座つた。こんな格好が似合ふのは日本人なら「キイハンター」の野際陽子くらゐであらうな、などと思つてゐると、背の高い外国人青年が他の客をかきわけて彼女の前にやつて來た。

そして突然、「ハーイ、君はどこの國から來たんだい?」と英語で陽気に話しかけたのである。「イラン」。「ヘエ、ええ……と、日本で何してるんだい?」。「○○株式会社で○○を担当してゐます」。「いやあ、あんまり綺麗だから、ちよつと氣になつてさ」。「左様ですか」。…………と、氣不味い沈黙が續いたあと、「話せて良かつたよ、じゃ、また!」と青年は去つて行つた。ふーむ、これがナンパと言ふ奴か、流石アメリカ人は打たれ強いな、と、彼はアメリカ人に違ひないと決めつけた私であつた。

「非情のライセンス」を口遊みながら歸宅。風呂に入つてから夕食の支度。鶏腿肉を蒸して、胡麻油と塩胡椒のみ。リースリングを少し。のち、鶏飯(けいはん)。

2017/01/17

カンタータ

今日は夕方のミーティングがあつたので遅い歸宅。NHK-FM「ベストオブクラシック」を聞きながら、夕食の支度。バロッカネルネの公演よりテレマン、バッハなど。冷凍しておいたハンバーグの最後の殘りを焼いて、キャベツ炒めとマカロニチーズを添へ、バゲットを少し切る。赤ワインを一杯だけ。やはりバッハのカンタータは癒される。

さて、これから風呂。

2017/01/16

氷点下

「古楽の楽しみ」を夢現に聞いてから起床。明日こそ六時に起床したいものだが。今朝も氷点下だつらしく、出勤時間でもかなり寒い。私は寒いのが好きなので、なかなか結構だ。これくらゐでないと冬と言ふ氣がしない。

歸宅して、まづ風呂に入つて身体を温める。湯船の讀書は "The Paper Thunderbolt" (M.Innes / Penguin). 冬休みの間、他の本を讀んでゐて、しばらく讀みさしてしまつてゐた。今、全体の四分の三くらゐだらうか。湯上がりにさらに身体を温めるため、湯豆腐で熱燗。やはり豆腐はいい。大根の漬物を少し。そののち、鶏だしと塩であつさり味つけした焼きそば。

夜は「ブッデンブローク家の人々」(T.マン著/望月市恵訳/岩波文庫)など。「細雪」と言ひ、「ブッデンブローク家」と言ひ、没落ものはどうも私の心をひきつけるなあ。

2017/01/15

クリスピンと田村隆一

また 8 時まで寢てしまつた。明日から 6 時に起きられるだらうか。休日の簡易的朝食のあとラテン語の勉強を少し。家事と讀書の一日。「田村隆一 ミステリーの料理事典」(田村隆一著/三省堂)、「愛は血を流して横たわる」(E.クリスピン著/滝口達也訳/創元推理文庫)など。晝食はお好み焼きとビール、白菜の漬物とハム。夕食は鶏肉と長葱と春菊の小鍋立てなどで熱燗を五勺ほど。

「愛は血を流して横たわる」、讀了。いかにも英国派のユーモアあり教養ありの、折り目正しい古典的ミステリ。上品で温かくも、てきぱきとした展開は讀み易く、だれさうなところはサスペンスで引き締められてゐて、一息に讀める。強ひて言へば、犯人に意外性がなく、解決編がややくどいか。

「田村隆一 ミステリーの料理事典」は料理の本では全くない。早川書房創業期の編集者、翻訳家、詩人の田村隆一が、料理に喩えてミステリに就て書いたエッセイ集。特に第 1 章の思ひ出話が面白く、各節冒頭に何故か昭和二十九年初頭にあつたことを箇条書きにしてゐるのも樂しい。例へば、「二月十三日 植草甚一氏訪問 "Moving Toyshop" の翻訳をお願いする」とか。この "Moving Toyshop" とはクリスピンの「消えた玩具屋」である。當時、植草甚一は井の頭線の池ノ上駅近くの学生下宿で四畳半二間の貧乏暮らし。毎朝、昨晩の残りをチャーハンにして食べてゐた、とか。

田村隆一は同書で、好きなミステリ作品の一つにクリスピンの「消えた玩具屋」を挙げてゐる。クリスピンをパブから生まれたユーモア文學と言ふ枠組みで解説し、さらには、パブは日本で言へば銭湯だ、日本で最初に銭湯を経営したのは福沢諭吉だ、と言ふ調子で脱線して行くのが愉快。



2017/01/14

豆腐と春菊

冬休み中の寝坊癖がなかなか抜けない。今週は「古楽の楽しみ」もまともに聴けなかつたくらゐだ。漸く 8 時に起き出して、休日用の簡易的朝食。書き物仕事を少ししてから、所用を一つ。晝食は毎週お好み焼きも何なので、鉄板焼き風のソース焼きそばにしたが、まあ大差ない。ビールとともに。

午後は「愛は血を流して横たわる」(E.クリスピン著/滝口達也訳/創元推理文庫)を讀んだり、`Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press)を讀み進めたり。

風呂に入つてから、夕食の支度。ハンバーグにキャベツの炒め物とマカロニチーズ。赤ワインを一杯だけ。のち、押し麦入りの御飯、白菜と大根の漬物、豆腐と春菊の味噌汁。豆腐と春菊は良い組み合はせだ。

2017/01/13

金曜日

漸く週末。今週は一日少なかつたのだが長く感じたなあ……歸宅したら、一つ問題が勃発してゐて、その対処。このマンションも古いので、私自身のやうにあちこち傷み出してゐて、手がかかり始める時期らしい。

さて、週末だ。`Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press)を讀み進めるのと、「愛は血を流して横たわる」(E.クリスピン著/滝口達也訳/創元推理文庫)を讀むのが樂しみ。

2017/01/12

リースリング

往きの車中の玉上「源氏物語」は第八巻、「紅梅」の帖。

歸宅して風呂に入つてから夕食の支度。ちよつと首筋の邊りが涼しい氣がして、身体を温めようとまた鍋料理にする。寄せ鍋。アルザスのリースリングを一杯だけ。あとは雑炊。

夜は「ブッデンブローク家の人々」(T.マン著/望月市恵訳/岩波文庫)など。

2017/01/11

鏡抜き

夕方から親会社の今年初の全体会議で、鏡抜き酒の振舞ひなどがあつたものだから、歸りが遅くなつてしまつた。

歸宅して、夕食の支度。すぐ食べられるもの、と言ふことで小松菜と豚肉の常夜鍋。「八海山」純米吟醸を五勺だけ。のち、卵雑炊。

さて、風呂の用意をしよう。今夜は ``Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press) を讀み進めようと思つてゐたが、就寢時間も近いことだし、「緋牡丹博徒」シリーズの藤純子でも觀て寢ることになるかなあ。

2017/01/10

湯豆腐と雑煮

今日からは平常の気分で、往きの車中では「源氏物語 第八巻」(玉上琢彌訳注/角川ソフィア文庫)、歸りは「ダルジールの死」(R.ヒル著/松下祥子訳/ハヤカワ・ミステリ 1810)。

風呂に入つてから夕食の支度。豆腐と鱈と春菊の小鍋で、冷酒を五勺ほど。私は湯豆腐と言つたら、鍋の中は昆布と豆腐だけだと思つてゐたが、こんな風に色々と入れてなほ湯豆腐と言ふ流儀もあるらしい。もちろん、どちらも悪くない。鍋のあとのだしは、余つた餅を焼いて清ましのお雑煮にしてみた。白味噌に煮た丸餅でないとお雑煮と言ふ氣がしないのだが、これはこれで悪くない。

昨日から寢る前に、「論語」の他に「ブッデンブローク家の人々」(T.マン著/望月市恵訳/岩波文庫)を少しづつ讀んでゐる。

2017/01/09

レイナムパーヴァの災厄

いくらでも眠れる。このまま永遠の眠りにつきたい。チアシード入りのヨーグルト、オートミール、珈琲、苺を少しの朝食。ラテン語と數學基礎論を三十分ずつ。朝風呂の湯船で「レイナムパーヴァの災厄」(J.J.コニントン著/板垣節子訳/論創社)を讀了。

英国ミステリ黄金期の忘れられた作家コニントンと言ふことで期待したのだが、もう一つ。作者自身のこの作品への評価も低いらしいし、古典ミステリの愛好家なら史実として押さへておくべし、と言ふ程度か。しかし実力の高さはうかがはれるので、代表作とされる「九つの解決」"The Case with Nine Solutions" や「当りくじ殺人事件」"The Sweepstake Murders" などはいづれ讀んでみたい。

晝食はインスタントのラクサ風スープ、レトルトのグリーンカレー、ビール。晝に飲むビール、好きな料理、面白い本、かう言ふことを小確幸と言ふのだらう。午後も讀書など。夕方から一週間分の家事をこなす。

風呂のあと、黒豆の五目煮と鶏皮の味噌煮で、いただきものの「比婆美人」を燗で五勺ほど。のち、白菜とハムの炒めもの、大根の漬物、押し麦入り御飯、小松菜の味噌汁。食後に包種茶とスモークトチーズ。

さてまた明日から出勤だ。

2017/01/08

初芝居

 水筒に「超群」純米吟醸をつめ、黒豆の五目煮を包んで、歌舞伎座へ。「壽 初春大歌舞伎」晝の部を観劇。初芝居は縁起物。

真山青果作の「将軍江戸を去る」。今年は大政奉還から百五十年らしい。徳川慶喜に染五郎、山岡鉄太郎に愛之助。昨年の「元禄忠臣蔵」で真山青果に感心したので今回も樂しみにしてゐた。やはり古典とは違ふが、歴史小説の趣きがあつて、悪くない。染五郎ではまだ慶喜を演じるほどの厚みがない氣もするが、慶喜自体が當時三十歳くらゐのはずだから、丁度いいのかも。

「大津絵道成寺」は愛之助が五役を早変はりで踊り分ける、言はば「愛之助丈オンステージ」。正月らしい華やかさが良かつたのでは。「ラヴ様」ファンだらうか、珍しく女性の掛け声があつたやうな。「沼津」は呉服屋十兵衛に吉右衛門、雲助平作に歌六、お米に雀右衛門など。さすがに歌六が芸達者で渋い。

冷たい小雨の中を歸宅して、風呂に入る。湯船の讀書は「レイナムパーヴァの災厄」(J.J.コニントン著/板垣節子訳/論創社)。夕食は黒豆の五目煮、出來合ひの鰊の甘露煮で鰊蕎麦。食後に包種茶ともみじ饅頭一つ。


2017/01/07

映画と小説

年始らしくおめでたく紅白にしようと思つたのだが、生憎、白薔薇が払底してゐて薄桃色。

市川崑監督の「細雪」、「悪魔の手毬唄」、「犬神家の一族」と續けて観たのだが、やはり小説の映画化は原作とは違ふものだ。映像化の素晴しさの一方で、小説での「見せ所」が映画に似はない。

例へば、映画「犬神家の一族」ほどインパクトのある映像は凄い。一方、この小説の味噌は「真相を知らない真犯人」といふ構造一つがあらゆる謎を説明してしまふことと、盲目の琴の師匠とのやりとりの二点である。それが映画ではあまり生かされない。ミステリではない「細雪」でも、妙子が雪子の足の爪を切つてゐる場面は映画でも良い絵になつてゐるが、さういふ意味ではないのだがなあ、と言ふ氣がする。

小説「細雪」の私が思ふ勘所は、この四姉妹の「えぐ味」で、実際、次女幸子以外の三人はかなりろくでもない女たちである。しかしそれが姉妹の美しさ、優しさ、やるせなさ、仲が惡いやうで根のところでの揺ぎない親密さなどと表裏一体になつてゐる。讀者はさう言ふ関西の女がさもありなんと思ひつつも、本當には理解できない、そこが面白いのである。そしてそこは映像化が難しいし、似合ひもしない。

2017/01/06

よきこときく

五日まで休みと言ふ方が多かつたのだらうか、今日からは往きも歸りも通勤電車はいつもの混み具合だつた。

夕方退社。歸宅して夕食の支度。出來合ひの生餃子を焼いてビール。冬休みの間に市川崑監督の「細雪」(1983年)を観た勢ひで「悪魔の手毬唄」(1977年)を観た余勢か、さらに今日は「犬神家の一族」(1976年)を観てしまふ。さすが、日本中の小學生にスケキヨの名を叩き込んだだけのことはある名画だ。

2017/01/05

五日

小寒らしく今日から急激に冷え込んだ。五日になると通勤の人も増えて來たやうだ。夕方退社。歸宅して風呂に入つてから夕食の支度。御節の殘りで「超群」純米吟醸を五勺ののち、親子丼。食後に包種茶と落花生。

夜は ``Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press)など。

2017/01/04

超群

平日いつもの納豆定食の朝食のあと、ラテン語と數學基礎論の勉強を少しづつ。今朝は形容詞の名詞的用法になかなか気付かず、演習問題一問しか進まなかつた。

今年の初出勤。まだ今週は冬休みの人が多いのだらう、町もまだ閉店してゐる店が目立つし、通勤電車も空いてゐた。往きの車中の讀書は玉上訳注「源氏物語」の第八巻のところを、今週は正月気分を持續するため「細雪」。

歸宅して、風呂に入つてから夕食の支度。と言つても、まだ御節の殘りがたんとあるので、御節でいただきものの「超群」純米吟醸を五勺ほど。いかにもそんな名前の數學的オブジェクトがありさうだが(``super group" ?)、勿論無関係だらう。のち、煮麺。年越しした実家で、「痩せ過ぎではないのか」「どこか惡いに違ひない」としきりに責められたので、少し食べる量を増やすかなあ、と思つたからでもないが素麺を二把茹でたのは、やはり食べ過ぎだつた。

夜は ``Quantum Computing since Democritus" (S.Aaronson / Cambridge University Press)など。

2017/01/03

浴室には誰もいない

午後はおせち料理の殘りを肴にビールなど飲みながら、「悪魔の手毬唄」(市川崑監督/1977年)を観たり。升ではかつて漏斗で飲んで……

さて、あつと言ふ間の一週間だつた。毎日が冬休みならいいのになあ。早く次の冬休みにならないだらうか。と思ひながら、湯船で「細雪」(谷崎潤一郎著/中公文庫)の最後のあたりを讀み、そのあとの夕食は、年末から仕込んで年を越したチキンカレー。シラーを一杯だけ。グラスの殘りでおせちを少し。

「浴室には誰もいない」(C.ワトスン著/直良和美訳/創元推理文庫)、讀了。非常に樂しく讀めた。中心の事件は、自称セールスマン実はスパイだつた男が失踪、その家主が彼を殺して始末したのか、それとも彼自身が事件を演出して逃走したのか、と言ふだけの単純な謎なので、いくらひねつても大きな驚きはない。しかし、シャープに書かれてゐるので、ミステリとして納得できる。また、本筋の警察の捜査と情報部の立場からの捜査が交互に書かれるのだが、この後者のとんちんかんさと両者のずれがとても可笑しい。こちらのファース風味に重点を置いて伝統的「お馬鹿スパイもの」として書くこともできただらう。しかし、プロットを邪魔せず、むしろ、互ひにからみあつて有機的な面白さに昇華されてゐるところが新しい。

2017/01/02

映画「細雪」

晝食におせち料理と稲荷寿司でシャンパンを少々飲みながら、ヴィデオで「細雪」(市川崑監督/1983)を観る。

原作からの私のイメージとは相當に違ふし、話の筋も随分と簡略化の上に改変もされてゐるのだが、私は岸惠子(長女鶴子役)を見るのが好きだし、畳紙を一杯に広げたり、沢山の衣紋掛けに着物を出した場面なんかは懐しいなあ、などと思ひつつ、しみじみ樂しめた。全体に着物がどれも水色や桃色でぽつてりしてやぼつたいのだが、そこが関西らしい。粋筋でもない限り、晴れ着はかうしたものだ。鶴子の着物だけは、時々ちよつと垢抜けてゐる。意図的な演出なのかも。

映画の最後、東京に引越す鶴子が雪子に東京に遊びに來るやう誘ふのに、「來月は歌舞伎座で六代目が道成寺の道行から後ジテまで通しでやるんやてえ」と汽車の中から言ふ場面がある。少し説明的でわざとらしい。「六代目」とは菊五郎のことで、原作ではあちこちで菊五郎のことが言及されるし、当時の風俗を感じさせるためにも、ここの場面に差し込んだのか。それはさておき、最後の場面が汽車の見送りでの別れとは月並ではあるが、やはり鶴子の最後の台詞にはぐつと來る。

夕食は水炊き鍋。あとは卵を割り入れて雑炊。シャンパンの殘りを飲みながら、TV で歌舞伎座や大阪松竹座などからの初芝居の生中継を觀る。しかし、やはり初芝居は歌舞伎座に出かけたいものだ。

取り敢へず、いい正月であるなあ。

2017/01/01

椿油

年越しだけは実家で過し、すぐに戻つて來た。実家は相変はらずだつたが、庭の椿が大木になつてゐたのだけは印象的だつた。無論、急に育つたのではなくて、昔、祖祖母と大叔父の家の庭にあつた椿から零れた種が芽吹いたものを移してから三十年、ずつと家の庭にあつたのだが、ふと今年、こんなに大きかつたつけ、と気付いたのである。今は沢山の蕾をつけてゐて、二月には真赤に咲くとのことだ。

知らんうちに立派になつたもんやなあ、と母に言ふと、ええお屋敷では椿は植ゑんもんやけどな、と言ひつつも、まんざらでもないやうだつた。老母が話すことには、昔は近所に椿油を絞つてくれる場所があつて、祖母は祖祖母宅の椿の種で油を作つてもらつてゐた、との由。そう言へば椿油つこてたなあ、と思ひ出したが、庭の椿で作つてゐたとは知らなかつた。

年越しは概ね、「細雪」(谷崎潤一郎著/中公文庫)を讀んでゐた。今、丁度中程くらゐ。細雪は話の筋なんて関係なく、滅び行く豊かさの最期の輝き、と言つた風情に浸るのがよい。今の日本には豪奢と言ふ言葉に値するほど厚みのある文化がほとんどないので。