「夫子憮然曰、鳥獣不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。
「論語」微子、第十八、六

2017/02/27

私の吐いた暴言に就て

オフィスで親会社が宣伝のため社員の写真撮影をしてゐた。さう言へば、かつて私も大學のパンフレットやゼミ紹介の写真撮影に何度もつきあつたが、この手の撮影は恥づかしいものだ。「黒板を指差しながら、楽しく議論してゐるやうな感じでお願ひします」とか。もちろん普段は、學生に「そこまで馬鹿な人間に數學をする資格はない。今すぐ田舎に歸つて親孝行しろ」と罵倒したり、灰皿を投げつけたりしてゐたのだが。嘘です。

私はとても優しい先生として知られ、御花畑のやうなゼミで評判だつたものだが、一度だけ學生に暴言を吐いてしまつたことがある。「自分が數學に向いてゐるか心配なんです」と言ふ學生に、つい心のままに、「心配ないよ。君は何にも向いてないから」と言つてしまつたのである。學生の顔色を觀て失言に気付いたが、既に遅し。そのせゐか彼は他大學の大學院に進學したやうだつた。

もちろん今の私ならば、さう言ふことは博士号をとつても職がなく非常勤講師で何とか食ひつないでゐる苦學者とか、それどころか既にパアマネントなポストにある人もが、苦悩の果てに漏らして漸く許される言葉であつて、學生ごときが口にすることではないのである、それにまた、君に才能があるかどうか私ごときに分かるはずもない、後世畏るべしの言葉通り、偉大な數學者になるやも知れぬし、どうにもならぬかも知れぬ、ただ、君がやりたいならやればよく、私にはさうとしか言へない、向いてる向いてないはどうでも良いことだつたのだといづれ君にも分かる日が來ることを願ふのみである、と、言を尽して述べたであらう。しかし、當時の私は未熟だつた。申し訳ない。

思へば、実は私も學生の頃、「自分は數學に向いてゐるだらうか」と指導教授に訊いたことがあるのだ。先生はかく曰はれた。「向いてゐると思ふ。ただし……就職の世話はしないよ」。流石である。格の違ひと言へようか。